イエスと霊的な征服

しかしながら、魂の約束された土地の全面的な所有――これは、諸々の天の土地(への道)を開く所有である――を、どのように実現するのか。それは、霊的なイスラエルの新しい指導者イエスに従うことによってである。オリゲネスにとって参照の中心は、常にイエスである。ここでは、ヨシュアの人となりと経歴に関するオリゲネスの諸々の詳論を指摘することしか、我々にはできない。

第一講話は、それらのテーマについて概略的な展望を提供している:イエスの名前の重要性と、ホセAuséの名前の変更(1,1-2);アマレクに対する戦いと、モーセの挙げあられた諸々の手の意味(1,2);モーセに対するイエスの優越性(1,3);洗礼の神秘的な源泉であるヨルダン川の過越;土地への進入と新しい諸々の実りの食(1,4);ラハブのエピソード(1,4-5);長くされた昼間(1,5);霊的な戦闘(1,6-7);第二の割礼(1,7);それらの側面は、様々な程度において伝統によって遺贈されいた。オリゲネスの独創性は、それらのテーマを新しい広がりの内で取り扱い、魂のために諸々の霊的な帰結を引き出したことである。

イエスの使者たちを「諸々の高みの上で」迎え入れたラハブの受容の神秘がその一例である。贖いのしるしによって護られた彼女の家は、教会の形象である:「もしも人が救われることを望むなら、その人は、かつての遊女のその家の中に入りなさい。彼は、贖いのしるしとしてのキリストの血が見出されるその家の中に入りなさい。・・・この家の外で、すなわち教会の外で、誰も救われません」。そして、なぜ緋色のしるしが窓に吊されたのか。なぜなら窓は、「光全体を受け入れることを許すのでなく、私たちの諸々の目と私たちの視線が許容できるものを受け入れることを許す」からです。同様に、「救い主の受肉は、彼の神性の純粋で単純な視像を私たちにもたらしませんでしたが、私たちがいわば一つの窓を通して、その光を知覚するようにしてくれただけです」(3,5)

古来の伝統によって示唆されたにすぎない諸々のテーマも、オリゲネスの許で力強い諸々の発展を受ける。それは、エリコの滅亡である。エリコは、偶像的な世界の形象であり、諸々の偽教説の巣窟――その幻想と高慢の諸々の城壁は、福音の諸々の角笛の前で瓦解する(6,4;7)――である;あるいは、それはモーセの死である。モーセは、新しい信仰の前で消滅する古来の諸々の祭式の象徴である;エルサレムは破壊され、祭壇は破壊され、生け贄の儀式もなく、生け贄もなく、神酒もない・・・:「神の僕モーセは死んだと、あなたは言いなさい」(2,1)hbg;あるいは、その(オリゲネスの許で力強い諸々の発展を受ける)テーマは、太陽としてのキリストという主導的なテーマである。なぜならイエスは、昼間の持続すなわち世界の持続を引き延ばすからである:「諸国の民からなる諸教会が増加し、異邦人たちの一切の充満がその中に入り、その結果、一切のイスラエルが救われるまで、昼間は延ばされ、日没は延期されます。太陽は決して沈みません。それは常に昇っています。それは、信じる人たちの心の中に真理の光を注ぐ義の太陽です」と(11,3)ヨシュア記を通じて、オリゲネスは、霊的な説明が必要な諸々のエピソードや諸々の詳細を拾い集める。そして彼の創造的な才能は、類い稀な幸運をもってそれをやってのける。ヨシュアによって無傷の諸々の石でもって築かれた祭壇の中に、オリゲネスは、神秘的なキリストの諸々の生ける石を見る(9,1-2)。祭壇の諸々の石の上に記された第二律法の朗読を、彼は新しい律法――イエスによって「私たちの心の肉の諸々の書板の上に」書き記された新しい律法――として解釈する(9,3)

この講話全体の避けがたい諸々の長さにもかかわらず、突飛で恣意的な諸々の解釈にもかかわらず、それらの講話は、統一の強い印象を残している。オリゲネスを導く根本的な直感は、ヌンの子ヨシュアの様々な所作を通して、神の子イエスの諸々の神秘が現れているということである。それらは、歴史的イエスの諸神秘というよりも、その不断の働きが諸々の心の中に現れるところの栄光的キリストの諸神秘である。諸々の魂の中でのイエスの役割についての真の省察は、イエスとモーセの対比――これは、オリゲネスによって強く感じられた対比であるにもかかわらず――を二次的な平面に移行させる。あるいは、むしろその省察は、その対立をキリストの役割の霊的な諸側面の一つとして包み込む:すなわち、彼の役割はまさしく、モーセの後を継ぐこと、ヨルダン川の諸神秘を啓示すること、新しい道の上で霊的な指導者であることである(4,1)。これは、驚くべき転位であり、詩想豊かな才能に比すことのできる一種の新しい創造である。旧約のヌンのヨシュアの活動の背後に、オリゲネスは、キリストの霊的な諸機能の多様な豊かさを象徴的に知覚する:旧約の人たちの君主(16,2)、義の太陽(11,3)、律法の諸々の秘密をただひとり解き明かし、自分の模範によってそれらを教える魂たちの博士(24,2)、キリスト者たちの指導者、悪霊たちの征服者(14)、エリコの破壊者(7,1)、浄化する方(15,5)、自分の嗣業地を開拓し再建する方(13,3; 24,3; 26,1)、再臨において永遠の嗣業地を分配し、最終的に土地に安息を与えるだろう方(15,7)

以上のようなことが、オリゲネスの許で、ヨシュアの予型論に与えられた主導的な展開である。オリゲネスは、伝統的な諸テーマを再び取り上げている。しかし彼は、それらの協和音を、充満の名に値し得る力強さと深さとをもって披露する。それらの講話は、諸々の性急な発言や諸々の思いがけない進展に満ちているが、我々はそれらの講話を通して、オリゲネスの遺言とともに、霊的な円熟の反響を見出す。

 

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