霊的戦い

ヨシュア記講話の核心にある霊的戦いの教説は、ユダヤ人たちやキリスト者たちの許で既に堅固に証拠立てられた伝統に基づいている。フィロンは、聖書の解釈において、諸情念に対する魂の戦いに大きな場所を割いている[1]。そして、ユスティノスの許で、アマレクに対するイエス(ヨシュア)の勝利は、悪霊的な諸力に対するキリストの勝利を表わしている[2]。しかし、その教説は、オリゲネスの許で力強く独創的な諸々の発展を受けている。そして、当時、頻発していた迫害の悲劇を背景にして、アレクサンドリアの教師の諸々の発言は特異に際立っている。悪霊的な諸力がはびこっていなかったのか。ヨシュアの時代と同様に、それらの諸力は、聖なる土地を探求する神の民に対して立ち上がっている(Hom.9,10)。聖人たちは、悪霊たちの常に更新される諸々の軍勢と戦い、それらを深淵に投げ込まねばならなかった(Hom.15,6)。やがてオリゲネス自身が、この戦闘――殉教者たちの戦闘――の残忍さを身をもって知ることになる。

しかしながら、時局の諸々の脅威は、教師の晴朗さを乱さなかった。政治的激動に身をさらした偉大なアレクサンドリア人の見識の高さを賞賛しなければならない。地上の諸々の出来事の展開は、彼にとって、限りなく重大な広がりを持った「別の歴史」の反映あるいは表現に見えた。なぜならその別の歴史は、肉的な諸々の価値の次元の中に登記されているのでなく、霊的な諸々の現実の中に登記されているからである。



[1] Voir W.Voelker, "Fortschritt und Vollendung bei Philon von Alexandrien", TU, 49, I (1938), p.126-137. Le même auteur avait traité, dans la même ligne, du combat contre le monde et contre les passions chez Origène: Das Volkommenheitsideal des Origenesu, Tubingue, 1931, p.44-62.

[2] Cf.Justin, Dial.89,1.

 

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