聖地の征服

ヨシュアの導きの下での約束された土地の征服は、他の征服――すなわち、新しいイスラエルの長であるイエスの下での魂と諸々の天の国との征服――の像である。この強力な直感は、ヨシュア記の様々なエピソードを一つの広大な総合の中で支配している。カナン的な諸々の敵は、魂の上に君臨し、その土地を奪うことを狙う悪霊的な諸々の力である。エリコは、悪の町であり、神の言葉と使徒たちの教えという諸々の角笛の前で崩壊する世界である。ヨシュアの使者たちを迎え入れた遊女「ラハブ」は、福音の使信を受け入れた異邦人たちの形象である。ヨシュアについての注解の全体を通じて、肉的な歴史の霊的な転位が、そのテキストの上で透かし見える。キリスト教的魂の命運が賭けられた歴史がそこに登記されているのである。

オリゲネスはそのような転位の創始者ではない。彼が、ヨシュア記について連続した講話を残した最初の人であるとしても、約束された土地とみ国との結びつき、ヨシュアとイエスの結びつきを捉えた最初の人ではない。オリゲネス以前に、それらの対応関係は、教父たちにとって、旧約の解釈の諸々の鍵の一つである。人は、それらに対して、聖書的な諸々の根を見出すことができ、約束された土地のテーマに関して、ユダヤ的な前史を見出すことができる。

それゆえ、民数記講話のそれらの主要テーマを強調すること、そして、どのようにしてオリゲネスが、ユダヤ教的・キリスト教的伝統の内部に位置づけらるかを探求することは、有益であるように見えた。以下は、単なる素描であって、序文という狭い枠の中で、委細を尽くすことを意図していない。ところで、イエス〓ヨシュアのテーマは、既にP.ダニエルによって未来の事柄の秘蹟[1]の中で論じられているので、その研究を参照しなければならない。そして、我々は、約束された土地のテーマの考察に専念する。



[1] P.Daniélou, Sacramentum Futuri.

 

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