ですから、父祖たち:「ルベン、シメオン、レビ、それぞれは、自分の一切の家と共に[1]」、エジプトの中に降りました。どのようにして人は、「彼らは自分の一切の家と共に」エジプトの中に入ったということ、そのことを説明するでしょうか。それらのことばに次のことが付け加えられています:「そして、ヤコブと共に中に入ったすべての諸々の魂は、七十五であった[2]」と(聖文書は)言っています。

既にここに、「諸々の魂」に言及すによって預言的な言葉は、それがあらゆる所で覆いを掛けた神秘をほとんど裸にしました――諸々の身体に関してでなく、諸々の魂に関してそれらのことを言っていることを提示するために。しかしながら(その言葉は)まだみずからの覆いを持っています。なぜなら、諸々の魂が人間たちを表すものとして呼ばれるのは習慣であると、と信じられているからです。しかし、「七十五の諸々の魂が、ヤコブと共にエジプトの中に降りました」。それらの魂は、ヤコブが生んだ魂たちです。私は、人間たちの誰人も、魂を生むことができないと考えます――次のこと言った人と同じようになっていなければ:「たとえあなた方が、キリストの中に養育者たちの幾千を持っているとしても、多くの父たちを持っているのではありません。なぜならキリスト・イエスにおいて福音を通して、私があなた方を生んだからです[3]」と(使徒は言っています)。そのような人たちが、諸々の魂を生み、それらを出産する人たちです――彼が別の場所でも言っているように:「私の小さい子供たちよ。キリストがあなた方の中で形作られるまで私は再びあなた方を出産します[4]」と。実に他の者たちは、そのような誕生の配慮を持つことを望まないか、あるいは、そうできません。ともかく当のアダムは、諸々の始めの中でいきなり何を言っているでしょうか。「いまこれは、私の諸々の骨からの骨、そして私の肉からの肉[5](と言っています)。しかし彼は、「そして私の魂からの魂」という言葉を付け加えていません。しかしアダムよ、あなたは私に言ってもらいたい:もしもあなたが、あなたの諸々の骨から骨を覚知し、あなたの肉からの肉を感知していたなら、どうしてあなたは、魂もあなたの魂から進出したことを知解しなかったのですか;実際もしもあなたの中にあったすべてのものをあなたが伝えたとすれば、なぜあなたは、他の諸々のと共に魂の言及もしないのですか。魂は、人間全体の中で最良の部分です。しかし、それらの言葉によって彼は、知解する人たちに次の指示を与えているように見えます:すなわちそれは、彼が、「私の諸々の骨からの骨、そして私の肉からの肉」と言うことき、土地に由来するものを自分のものであると表明しますが、しかし、土地に由来しないと知っているものを自分のものだとは敢えて言わないということです。そればかりかラバンも、同じように「あなたは、私の骨と私の肉です[6]」というとき、彼自身も、土地的な同血性に属していることを覚知しないものを自分のものであると敢えて言わないように見えます。実に、エジプトの中へ降るヤコブに結ばれている諸々の魂の同族性や、神秘的な末裔の枚挙の下で他の太祖たちと聖人たちに帰されている諸々の魂の同族性は、(それとは)別ものです。しかし、土地の近くの航路を守りつつ、いわば海岸の縁そのものをかすめつつ航海することに決めていた私たちは、どういう仕方か分かりませんが、諸々の波のうねりが私たちを強引に沖合に引き離しています。ですから、引き続いて付け加えられる(聖文書の)諸々の言葉に私たちは戻りましょう。



[1] Ex.1,1.

[2] Ex.1,5.

[3] 1Co.4,15.

[4] Ga.4,19.

[5] Gn.2,23.

[6] Gn.29,14.

 

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