さて彼は、自分自信を覚知するという知解の段階――知恵の最高の部分はそこにあります――にまで進歩しので、神的な御慈悲は彼に報います。あなたは、どれほど豪奢で壮麗な諸々の賜物で(彼が報われるか)お聞きください。「私は、あなたの口を開き、あなたが語るべき諸々の事柄をあなたに教えるだろう[1]」と、(聖文書は)言っています。彼ら――彼らが語らるために神が彼らの口を開いたところの彼ら――は幸い。預言者たちのために、神は(彼らの)口を開き、それをご自分の語りで満たします――今、(聖文書が)言っているように:「私は、あなたの口を開き、あなたが語るべき諸々の事柄をあなたに教えるだろう[2]」と。そればかりか神は、ダビデを通しても言っています:「あなたは、あなたの口を広げなさい。そうすれば私は、それを満たすだろう[3]」と。同様にパウロも言っています:「私の口の開口の中で、私に言葉が与えられるために[4]」。ですから、神の諸々のみ言葉を語る人たちの口を、神は開きます。

しかし、それとは反対に、悪魔が彼らの口を開くところの人たちがいるのではないかと、私は恐れます。実際、嘘を語る人の口を悪魔が開くのは確実です――その人が嘘を語るようになるために。偽りの証言を言う人[5]、諸々のふざけた事柄を表明する人たち、諸々の破廉恥とその他これに類する諸々の事柄とを自分の口から表明する人たちの口を、悪魔は開きました。また、「愚痴を零す人たちと中傷者たち」の口も悪魔は開くのではないか、そればかり、「諸々の怠惰な言葉を表明する[6]」人たち――それらの故に、裁きの日に説明がされねばなりません[7]――の口も悪魔は開くのではないかと、私は恐れます。しかし、「至高者に不正を語る人たち[8]」、「私の主イエス・キリストが肉において来たことを否定する人たち[9]」、あるいは、「聖霊を冒瀆する人たち[10]」――彼らに対しては、「今の代もにも、未来の代にも赦されないでしょう[11]」――についても、彼らの口を悪魔が開くことを誰が疑うでしょう。次のことについても、私が諸々の()文書からあなたのために明示することをあなたは望んでいるのですか:すなわち、キリストに反対して語るような人間たちに対して、どのようにして悪魔は(そのような人間たちの)口を開くのかを。あなたは、ユダについて何が書かれているか、どのように述べられているかをご覧ください:「サタンが彼の中に入った」;そして「悪魔は彼の口の中に、彼を渡すことを置いた」とあります。ですから(悪魔)自身が彼の口を開きました――金を受け取ることによって、「どのようにして彼を渡すかを、支配者たちとファリサイ派の人たちと語るためのに[12]」。それ故、悪魔が開いた口を知解することは些細な恩恵に属しているとは、私には見えません。そのような口と諸々の言葉を識別することは、聖霊の恩恵なしには叶わぬことです。ですから、諸々の霊的な恩恵の諸々の分別において、ある人たちに「諸々の霊の識別」が与えらえることも[13]、付け加えられています。ですからそれによって、霊が識別されるところの恩恵は霊的なものです――使徒が別の場所でも言っているように:「あなた方は諸々の霊を、それらが神に由来するものかどうか試しなさい[14]」と。

しかし、神が聖なる人たちの口を開くのと同じように、神は、(聖なる人たちが)神的な諸々の言葉を聞くために、聖なる人たちの諸々の耳を開くと、私は考えます。実際預言者イザヤはそのように言っています:「主は、私の諸々の耳を開くでしょう――いつ言葉が言われるべきかを、私が知るために[15]」と。主は、また、諸々の目も同じように開きます。それは、「主はハガルの諸々の目を開いた。そして彼女は、生ける水の井戸を見た[16]」とある通りです。そればかりか、預言者エリシャも言っています:「主よ、あなたは僕の諸々の目を開いて下さい――敵たちと共にいる者たちより、私たちと共にいる人たちの方が多いことを(僕が)見るために。そして主は、僕の諸々の目を開いた。そして見よ、山全体が。騎兵たちと諸々の戦車と諸々の天的な援軍に満ちていた[17]」と。ですから、私たちが言いましたように、神は口も諸々の耳も諸々の目も開きます――神に属する諸々のものを、私たちが語るか識別するか聞くようになるために。

しかし、預言者が言っている次のことも、私は怠惰に受け取りません:「主の教育は、私の耳を開いた[18]」と(聖文書は)言っています。それは、私たちに、すなわち、一般的に、神の一切の教会に関係しているように私には見えます。実際、もしも私たちが神の教育の中に留まっていれば、主の教育は私たちの耳も開いてくれます。しかし、主の教育を通して開かれる耳は、常に開かれているわけではありません。それは、ある時は開かれており、ある時は閉ざされています。あなたは、律法者が次のことを言っているのをお聞きください:「あなたは、虚しい聴聞を受け取ってはならない[19]」と言っています。ですから、もしもある時、諸々の虚しい事柄が言われるなら、もしももある時、諸々の無益な事柄、諸々の馬鹿げた事柄、諸々の汚らわしい事柄、諸々の卑俗な事柄、諸々の不敬虔な事柄が表明されるなら、主の教えを知っている人は、諸々の耳を閉ざし、聴覚を逸らし、言います:「私は、耳の聞こえない者のように聞かなかった;そして、自分の口を開かなかった口の利けない者のように[20]」。しかし、言われる諸々の事柄が魂の有益に関係するなら、話が神に関するものなら、それが諸々の良風を教え、諸々の徳を促し、諸々の悪徳を切除するなら、諸々の耳は、そのような諸々の弁舌に開いているべきです。そして、諸々の耳ばかりでなく、心も精神も、魂の一切のすべての入り口も、そのような聴聞に開かれるべきです。

しかし、律法は、掟の最高度の(措辞の)工夫を利用しました:たとえば(律法は)、「あなたは、空虚な聴聞を受け入れてはならない」と言いますが、「あなたは、急遽な聴聞を聞いてはならない」とは言わず、「受け入れてはならない」と言いました。なぜなら私たちは、空虚な聴聞を頻繁に聞くからです。マルキオンが語る諸事は空虚です;ヴァレンティヌスが語る諸事は空虚です;そして、創造主なる神に反対して語るすべての人たちが語る諸事は空虚です。しかしながら私たちは、それらの諸事を頻繁に聞きます――それは彼らが、弁舌の装飾を通して私たちの諸兄弟の中でより単純な者なら誰でも誘惑することのないよう、私たちがそれらの諸事に対して応えることができるようになるためです。ですから私たちは、それらを聞きますが、受け入れません。それらの諸事は、悪魔が開いた口から言われました。そしてですから、私たちが論駁者たちを論破できるよう、そして、悪魔が開く口を閉ざすことができるよう、主が私たちの口を開いて下さるように、私たちは祈るべきです。以上の諸々の事柄は、次の強に書かれていることに関して(述べてみたものです):「私はあなたの口を開くだろう。そして、あなたが語るべき諸事を、私はあなたに教えるつもりである[21]」と。

モーセに対してだけ主によって口が開かれることが約束されるばかりでなく、アロンに対しても(そのことが約束されます)。実際、彼自身についても次のことが言われています:「私は、あなたの口と彼の口を開くだろう。そして、あなた方な為すべき諸事を、私はあなた方に教えるだろう[22]」。実際、アロンもモーセに会いに行き、エジプトから脱出しました。しかし、彼はどこで、どのような場所の中で彼に会いに行ったのでしょうか。実に、神によってその口が開かれるべきところの彼がどこでモーセに会うかは、興味のあるところです。「彼は、神の山の中で彼にあった[23]」と(聖文書は)言っています。神の山の中で会うことのできる人の口は正当に開かれることを、あなたは見ます。ペトロとヤコブとヨハネは、神の山を昇りました――変容したイエスを見るに相応しいものとされるため、そして彼と共にモーセとエリアを栄光の中で見るために[24]。ですからあなたも、神の山に昇り、そこでモーセに会わないなら、すなわち、もしもあなたが律法の崇高な感知に登らないなら、もしもあなたが霊的知解の頂に登頂しないなら、あなたの口は、主によって開かれたものになりません。もしもあなたが、文字の低い場所の中に立ち留まって、歴史の本文をユダヤ的な諸々の物語に結び付けたなら、あなたは、「神の山の中で[25]」モーセに会ったことにはならず、「あなたの口を、神は開きませんでした」し、「あなたが語るべき諸事を、(神は)あなたに教えなかった」ことになります。ですからもしもアロンが、山の中でモーセに会わなかったら、彼の崇高な知解を見極めなかったら、彼は決して彼に神の諸々のみ言葉を語らなかっただろうし、諸々の印と諸々の驚異との力を彼に伝えなかっただろうし、彼をそれほど偉大な神秘の参与者として認めなかっただろう。



[1] Ex.4,12.

[2] Ex.4,12.

[3] Ps.80,11.

[4] Ep.6,19.

[5] Cf.Mt.15,19.

[6] Cf.Rm.1,29-30.

[7] Cf.Mt.12,36.

[8] Cf.Ps.72,7.

[9] 2Jn.7.

[10] Cf.Lc.12,10.

[11] Mt.12,32.

[12] Cf.Lc.22,4-5.

[13] 1Co.12,10.

[14] 1Jn.4,1.

[15] Cf.Is.50,4-5.

[16] Gn.21,19.

[17] 2R.6,16-17.

[18] Is.50,5.

[19] Ex.23,1.

[20] Ps.37,14.

[21] Ex.4,12.

[22] Ex.4,15.

[23] Ex.4,27.

[24] Cf.Mt.17,1-3.

[25] Ex.4,27.

 

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