12 最初に、「吹きさらう風[1]」が出てまいりました。少し前に私たちが述べたこと、すなわち、「私たちの神は焼き尽くす火である」という言葉を、今の場合にも繰り返し、これはこの聖書の言葉にも当てはまると言いたいと思います。どうして「吹きさらう風」という言葉が置かれているのでしょうか。「神は霊で[2]」あります。そして「吹きさらう風」が(エゼキエルによって)知覚されました。この風は、「吹きさらう」とふさわしく述べられるために、一体何を私から、そして私の魂から「吹きさらう」のでありましょうか。たしかにそれは、悪いものを吹きさらいます。そして、もしも(風である神が)私から最悪なものをことごとく除き去るなら、その時私はその慈しみを感じます[3]。しかしながら、私たちがもろもろの悪から解放されるからと言って、それが至福の終局であると考えてはなりません。罪の欠如は幸福の初めに過ぎないのです[4]。そのことは、『エレミア書』にも書き記されているます。  もちろん私は、預言書に書かれたすべてのことが慈しみ極まりない神に由来すると断言いたします[5]  「見よ、私はあなたの口に私の言葉を与えた。見よ、今日私は、あなたを諸国の民と諸王国の上に立てる。引き抜き、覆し、滅ぼし、建て、植えるために[6]」とあります。神は慈しみ深い方であります[7]。「引き抜くためにみ言葉を与えてくださる」のです。しかし何が「引き抜かれ、覆され」ねばならないのでしょうか。魂に何らかの悪い植物があれば、また、何らかの卑劣な教えがあれば、預言者の「言葉」は、これを「引き抜き、覆す」のです。とにかく、どうか願わくは、このような「み言葉」が私にも与えられますように。そしてこのみ言葉が、異端者たちのもろもろの種子と、サタンのに由来する教え[8]とを「引き抜き」、いま初めて教会に足を踏み入れた人の魂から、偶像崇拝の植物を「吹きさらって」くださいますように 「私は、あなたの口に私の言葉を与えた。見よ、私はあなたを立てる。引き抜き、覆すために[9]」。すなわちそれは、何か極悪な建物があれば、「破壊され」ねばならないということです。どれほどこの私も、マルキオンが欺かれた人々の耳の中に建てたものを「覆し」「引き抜き」「ひっくり返し」「滅ぼし」たいと願ったことでしょう  ヤコブが偶像を「破壊した」ように[10]。今日でも「破壊し、建てる」必要があります。異端者たちは「破壊し、覆す」という言葉だけしか聞きませんでした。しかし彼らは、「建設し、植える」という言葉には、耳を貸そうとはしませんでした。また彼らは、まず最初に悲しむべきことが語られ、次に喜ばしきことが語られているのに思いを馳せようとはしません。なぜいま、私たちは、これらのことに言及するのでしょうか。それは、神のみ言葉が、善い農夫のように悪いものを「覆し」、最善の者を「建て」、清められた畑に諸徳のこの上なく豊かな収穫[11]が生じるようにすることが、明らかになるためです。以上は、「吹きさらう風」に関して述べてみたものです。

(エゼキエルは)先ず「吹きさらう風」を目にし、次いで「そのなかにある大きな雲[12]」を見ました。あなたが、「吹きさらう風」によって清められ、すべての悪と、あなたの魂の中に巣くうすべての邪悪とが、あなたから「吹き払われる」とき、あなたは、「吹きさらう風」のなかにある「大きな雲」を喜んで享受し始めるでしょう。この「雲」は、福音書のなかに私たちが読む「雲」と極めて近しい関係にあります。福音書に読む「雲」からは、「これは、私の息子。私の心にかなう者である」という「声が出て」参りました[13]。さて、「吹きさらう風」が出て、次に「その中に大きな雲」がありました。そしてその後、「その(風の)周囲にこの上なく光り輝く光[14]」があります。あなたからもろもろの悪が「取り去られ」、あなたに「大きな雲」が与えられました。それは、「あなたのブドウ畑に雨を降らせる」ためなのです。(聖書の)他の箇所でこう言われています。「私は、それに」、すなわち極悪の「ブドウ畑に」「雨を降らせるなと、雲に命じる[15]」と。もしもこのことが、悪いブドウ畑について命じられているとすれば、あなたがこれとは反対に善いブドウ畑であれば、「雲が」あなたに「雨を降らせない」ことに、疑いの余地はまったくありません[16]



[1] Cf.Ez.1,4.

[2] Cf.Jn.4,24.

[3] 省略

[4] 省略

[5] 省略

[6] Jr.1,9-10.

[7] 省略

[8] 省略

[9] Cf.Jr.1,9.10.

[10] Cf.Gn.35,4.

[11] 省略

[12] Cf.Ez.1,4.

[13] Cf.Lc.9,35;Mt.3,17.

[14] Ez.1,4.

[15] Is.5,6.

[16] 省略

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