13 「そしてその周囲に輝きがあった。次に光り輝く火が、そしてその中に琥珀金の幻のようなものがあった[1]」。神は二つの仕方で、私たちの魂からもろもろの悪を「吹き去り」ます。すなわち、「霊」と「火」によって。もしも私たちが善良で、神のもろもろの掟に注意深くあれば、そして神のみ言葉によって教えられているのであれば、私たちのもろもろの悪は、「風によって吹きさらわれます」。それは、(聖書に)書き記されているとおりであります。「もしもあなたがたが霊によって、肉の業を死なすなら、あなたがたは生きます[2]」と。しかしもしも霊が、もろもろの悪を私たちから取り去らないなら、私たちは「火」の清めを必要としています[3]。ですから、(言葉の)個々の結合を注意深く観察してください。最初の結合は、「風」と「雲」の結合です。第二の結合は、「火」と「光」の結合です。第三の結合は、「琥珀金」と「輝き」の結合です。そして、これらの結合の各々は、悲しむべきことのように見えても、より喜ばしいものの隣接によって償われています。すなわち、「風」が起こると、直ちに「雲」が続き、「火」が現れると、「光」がそれに結びつけられます。そして「琥珀金」が先立つと、「その周りに輝き」があるのです。たしかに私たちは、「炉の中の金」や「琥珀金」のように、激しい「火によって燃やされ[4]」なければなりません。いま私たちが解説しているこの預言者(の言葉)の中でも、「主がエルサレムのまん中に座って、銀や錫、青銅、鉛の混入した人々を燃やし」、卑しい物質の混ざり物を含んでしまった彼らを、不満に満ちた声であげつらうのに、あなたは思い当たるでしょう[5]。主は言われます。「おまえたちは、混ざり物の銀になってしまった。おまえたちは、ぶどうの種のように見下げ果てた銀になってしまった[6]」と。実際、(その存在の)元から善いものである神の被造物[7]に、私たちが、私たちの悪意によってもろもろの悪徳や諸情念をもたらした場合、「私たちは、金や銀に、青銅や錫、鉛を混ぜた」ことになり、その清めのために「火」を必要とするのです。ですから、私たちがこの「火」のところに来たなら、無事に火を過ぎ越す[8]ことができるように、そして精錬されなければ屑に過ぎない[9]「金や銀や宝石[10]」と同様に、私たちが火によって燃やされるのではなく、(品質を)試されるように、細心の注意を払わねばなりません。



[1] Ez.1,4.

[2] Rm.8,13.

[3] 省略

[4] Sg.3,6.

[5] Cf.Ez.22,18sq.

[6] 省略

[7] 省略

[8] 省略

[9] 省略

[10] 1 Co.3,12.

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