次に、すなわち「立ち返り」の後に、次のように言われています。「お前の姉妹ソドムとその娘は、元あったのと同じように回復される[1]」と。私は、心象や比喩に訴えて、ソドムはどれくらいの間苦しめられてから、昔の状態に回復されるのか考察したいと思います。ところで、比喩によって言われたことがその通りであるならば、真にソドムであるものには何が起こるのでしょうか。大洪水の後すぐに、ソドムは、創世記に書き記されている苦しみを十世代にわたって受けました。実際、以前は、ソドムは、「神の楽園のよう、エジプトの地のよう[2]」でした。しかし今日でもその跡地に見ることができるようなことがソドムに起こりました。ご覧ください、どれくらい時がめぐったでしょうか。はっきり申しまして三千年が過ぎています。しかしそれでもソドムは、まだ回復されていません。回復されたのは、しるしと謎に包まれたソドムではなく、真理の把握の内に洞察されるソドムです。ヘブライ人たちは、ソドムは、かつてと同じ状態に回復され、再び神の楽園、エジプトの地になぞらえられると言っています。これがそのとおり将来起こるのか、、あるいはそのとおり起こらないのかという、この種の問題は、もっとも学識のある人たちの下で検討されるべきでしょう。しかし私にとっては、言われていることが実現するには、三千年の経過が必要でしょう。そしてそのときには、三千年のあいだ苦しめられたソドム、すなわち私の魂が回復されることでしょう[3]。ソドムとは、罪に満ちた精神のことです。回復と破壊の間には、大きな期間が置かれています。たとえあなたがかつてのように回復されるとしても、あなたがどれだけの悪を引き寄せ、先ずどれだけの害悪に打ちひしがれているかをお考えください。私たちがソドムについていったことを、サマリアについても理解しなければならないでしょう。サマリアもまだ回復されていないのです。それどころか十部族がユダヤから追放されて以来、サマリアは捕囚を受けており、その住民を持たないまま、(サマリアという)その名を保っているのです。しかし十部族が戻るとき、サマリアも最初の状態に回復されるでしょう。それは、次のように書かれていることが実現されるためです。「民は捕らえられてアッシリアに連れていかれ、今日にいたっている[4]」とあります。ところで、しるしとして先行したものがこれほどの長い時間の後で回復されるとすれば、もしもあなたが回復されるとして、一体いつあなたは回復されるのでしょうか。あなたは、ヤロブアムの心から出た偶像や偽祭儀やまがい物を信じた異端的でサマリアの魂なのです[5]。ああ、不幸な魂。あなたの先例がこれほど長い代々の後に回復されるとすれば、あなたはいつ回復されるのか。しかし、エルサレムによって正しいものとされたソドムとサマリアにこのことが起こるとすれば、ソドムとサマリアの罪を正しいものとしたエルサレムについては、何を言うべきでしょうか。「そしてお前たちは、元にあったように回復される。お前と、お前の姉妹たちは、元にあったように回復される[6]」とあります。イザヤも、「お前たちが元にあったように」と言われていることを知っていて、こう言っています。「そして私は、お前の裁き人たちを以前のように立て、お前の参議たちを始めのときのように立てる[7]」と。



[1] Ez.16,55.

[2] Cf.Ex.13,10s.

[3] Cf.Hom.Gn.5,1.

[4] 2R.17.23.

[5] Cf.2R.17.22s.

[6] Ez.16.55.

[7] Is.1,26.

 

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