「私は、彼を立て、私ののろいを蔑み、私の契約に背いた王の地にすまないと、主なる神は言われる[1]」とあります。ある人たちは、神ののろいを軽蔑し、また他の人はそれを尊びます。目下の個所では、神がご自分の呪いを尊ばない人を嘆いているのは疑いありません。実際、懲らしめを受けるために諸々の責め苦に渡された人が、定められたことを耐え忍ばなかったなら、その人は、神の呪いを尊ばなかったことになるのです。これに対してあらん限りの柔和さと賛美そして神への感謝をもって、耐え忍んだなら、その人は、神の呪いを尊ぶことになります。そしてその人が呪いを尊んだなら、その人は必ず神の祝福をも獲得することになるでしょう。「そして彼は私の契約を破った。同時に、彼は、バビロニアのただ中で死ぬことになる。そしてファラオは、強力な力によっても、多くの軍勢によっても、(イスラエルのために)戦わない[2]」とあります。ファラオは、(契約を)破り神の呪いを尊ばなかった人に、助けを与えることができないのです[3]。その代わりその人は、みずからの違反の故にバビロニアのただ中で死ぬことになります。



[1] Ez.17,16.

[2] Ez.17,16.17.

[3] Ez.17,16.

 

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