私たちが述べました以上のことが、私たちの理解したとおりのものであることを、預言者の次の言葉が明らかに示しています。こう言っております。「主なる神はこう言われる[1]。私は、おまえたちがもろもろの魂を滅ぼすために向かわせたおまえたちの枕に向かう[2]」。この言葉は、隠されていたを明瞭に開示して、「い合わされた枕が、もろもろの魂を滅ぼすために」作られたものであることを示しています。しかし、いま読まれた言葉にたじろぐことのできる人は、だれでしょうか。その人は、神が「みずから、そのような縫い物とそのような枕を引きちぎる」と言ってかされるのを聞いたのです。実際、主は言っております。「見よ、私は」  (ここで神は)「私は命令する」とは言っておりません  「私はみずから、両手のすべてのの下に置くために縫い合わされた枕を引きちぎる[3]」と。すべての織物を吟味して、最悪の縫い物をことごとく引きちぎるのは、神の業です。それらは、(自分の)手で仕事をせず、手を動かしたくないと望んでいる人々には有害なのです。「そして私は、おまえたちの腕から、それらを引きちぎる」、すなわち「枕」を引きちぎる[4]、とあります。しかし神は、優しいお方としてかされ、私たちがもはや枕を「私たちの肘」の下に置かないように、「腕から枕を引きちぎるのです」。「そして私は、おまえたちが転倒させた彼らの魂を解き放つ」。では、「枕を縫い合わせ」「肘の下に置く」ことが、何で転倒なのでしょうか。あなたがこの言葉の神秘[5]を理解するには、身体的な快楽を好む人間が大きな転倒になるなるのだということを知らなければなりません。ところで、異端者たちの言葉は、そのようなものなのです。そこには謹厳な議論がないのです。あなたは、ヴァレンティノスの弟子たちが放埒な生活をし、力漲るものや男らしいものに向かおうとは決してないのを見出すでしょう。バシリデス派の人たちも同様です。さらに異端者は、破廉恥にも、殉教に関することがらを否定することを、まるで掟でもあるかのように教えています。彼らは、「十字架を背負い、救い主に従う準備ができている[6]」教会の人たちの言明することを教えてはおりません[7]。ですから神のおん子であるみ言葉は、これらのことを強く威嚇され、邪悪極まりない縫い物のを「破られる」のです。どうかキリストよ、もろもろの魂の邪淫のために「縫い合わされた」すべての「枕をお破りになって」ください。



[1] 省略

[2] Cf.Ez.13,20.

[3] Cf.Ez.13,20.18.

[4] Ez.13,20.

[5] 省略

[6] Cf.Mt.16,24.

[7] 省略