「彼らはその義において救われると、主なる神[1]は言われる[2]」。先ず神の名前は、四文字で出来ております[3]。この名前は当然、神と訳されます。さて、「その地の罪のゆえに飢饉が送られる[4]」とあります。この「地」は、私たちが先ほど申し上げ、また、私たちの述べたことから別の理解を見出してもらおうと聴き手の皆さんの理解にお委ねしたすべての意味で(理解されねばなりません)。さらに私たちは、「罪深い地に最悪の獣を送る[5]」神の怒りの別の業を考察してみましょう。ユダヤ人たちも、狼や他の獣たちが家に押し入り、人間を貪り食うとした場合――たとえば歴史は、「獅子」が、ある時、人間に「解き放たれた」とか[6]、またある時には「熊」が解き放たれたとか述べている[7]――、このような災いが、神の憤りに由来しているのだと言っております。そして指し当たって私たちが、より高度な理解から退いて文字(通りの意味)に従うなら、この預言もこのような意味に従っていると、私たちは思っています。しかしすべてのこを判断し、しかも誰からも裁かれることのない霊的な人は[8]、私たちの「地が罪を犯した場合、神が罪深い大地に送り込む獣がたくさんいることを確信をもて言っております。「私たちの敵である悪魔が、吠え猛る獅子のように歩き回り、食い尽くす相手を探しています[9]」と。また、注意深く聖書を考察する人たち明瞭な理解を与えてくれるあの歴史も、「上って行け、はげ頭。上って行け、はげ頭」と言って、預言者を「侮辱した子どもたち」に「二頭の熊」が送られたとき[10]、これに類する意味を持っているのです。実際、これらの「熊」は、本当にどう猛で本当に残忍で、この「罪深い地に送り込まれる」他の獣たちのしるしとなっていたのです。しかし私たちは、「獣たち」が神の報いのゆえに私たちに「送り込まれ」ることとは無縁でありますように。むしろ私たちは、「あなたに信頼する魂を獣たちに引き渡さないないでください[11]」と祈りのなかで言いましょう。私は、義人たちがどう猛な獣たちに引き渡され、信仰のうちに堪え忍び、それらに引き裂かれ、殉教を全うしたことを知っております。けれども彼ら義人たちは、幸せであることを止めませんでした。と申しますのも、彼らは、罪人たちの魂を引き裂き、不敬虔な者たちの心に牙を向ける霊的で目に見えない「獣たち」に引き渡されなかったからです。たしかに「羊飼いがもろもろの獅子の口から二つの腿あるいは耳の端を引き抜くように、イスラエルの子らは引き抜かれることでしょう[12]」。ですから「地」はいつの日か、転覆させられるために「獣たち」に引き渡され、「その地から人間と家畜が取り除かれる[13]」のです。



[1] Adonai Dominus

[2] Ez.14,14.

[3] 神の名前を表すヘブライ語の神聖四文字YHWH(ヤーベ)のことを指している。ギリシア語でも神を表す言葉は四文字であるが、qeo,jであるが、オリゲネスはギリシア語で話しをして、これをqeo,jと翻訳しているから、ここでは問題外。

[4] Ez.14,13.

[5] Ez.14,13.15.

[6] Cf.2 R.17,25.

[7] Cf.2 R.2,24.

[8] Cf.1 Co.2,15.

[9] 1 P.5,8.

[10] Cf.2 R.23.24.

[11] Ps.73(74),19.

[12] Am.3,12.

[13] Cf.Ez.14,13.

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