11 「そしてお前の名前は、お前の容貌のゆえに諸国の民に広まった。なぜならお前は、私がお前に与えた容貌の美しさにおいて欠けたところがなかったからだ。そしてお前は、お前の美しさを頼みとしたと、主なる神は言われる[1]」。美しいエルサレムは、「尊大なことを味わい[2]」、自分の美しさを頼みとして身を上げたのです。そしてエルサレムは「高慢なことを味わって」、へりくだり神に栄光を帰そうとはしなかったので、エルサレムに何が言われるかお聞き下さい。「そしてお前は、自分の名において姦淫を行ない、すべての通路でお前は姦淫の媚びを撒き散らした[3]」。「すべての通路でお前は姦淫の媚びを撒き散らした」とは、どういうことを言っているのでしょうか。敵対する霊的存在者が、私たちの魂を「取り巻き」、様々なところをうろついて侵入できる場所を「探しているのです[4]」。怒りはその名において、私の行いに結びついて、私と「姦淫を行なおう」と望み、悲しみはその名において、私をも悲しませようと望むのです。また金や銀そしてその他これに類するものの欲望も同様です[5]。もしも私が私自身を護らず、私の扉を閉めなかったなら、そしてもしも私が敵のすべての囁き受け入れたなら、次のように私に言われるのです。「お前はすべての通路で姦淫の媚びを撒き散らした。そしてお前は、お前の数々の衣を取って縫い合わせ、偶像を作った[6]」と。私が「お前を飾り」それによって「お前が美しくなった[7]」もので、お前は「それを縫い合わせて偶像を作った」。さらに私は、ある人たちが「数々の衣」から縫い合わせて作ったこの「縫い合わされた偶像」とは何であるかを説明したいと思います[8]。「数々の衣」とは、聖書とそこに含まれる意味であります。異端者たちは、これらの「諸々の衣」を引き裂き、語句に語句を縫い合わせ、言葉を言葉に結び合わせるばかりで、時宜を得て適切なものを縫い合わせようとはせず、不敬虔なものを縫い合わせて、「模造品」のです。そして異端者たちは、これらの模造品によって、ある人々を信じ込ませ、自分たちの祭儀に加わって、偽の教えを受け入れるようにそそのかしたのです。しかし神が、これらの「模造品」その他から私たちみんなを解放してくださり、私たちがキリスト・イエスにおいて(神を)ほめたたえることができるようにしてくださいますように。キリスト・イエスに「栄光と力が代々にありますように。アーメン[9]」。



[1] Ez.16,14.15.

[2] Cf.Rm.12,16.

[3] Ez.16,15.

[4] 1 P.5,8.

[5] 省略

[6] Ez.16,15,16.

[7] Ez.16,13.

[8] 省略

[9] 1 P.4,11.

 

 

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