「お前が生まれた日に、お前の乳房は結ばれなかった」、あるいは、「お前のへその緒は切られなかった[1]」。ヘブライ語ではたしかにこうなっています。「お前のへその緒は切られなかった」と[2]。これは比喩的に、幼くして生まれた少女としてのエルサレムを指しています。エルサレムについていわれることは、教会に結ばれたすべての人々にも関わるものであることを、私たちは知っています。エルサレムの第一の時は、その第二の時の記述と同じようなものです。しかしエルサレムに対していわれるような第三の時を私たちが持たないのに越したことはありません。実際、初めに罪人であった私たちは、みな、神によってエルサレムと呼ばれています。そして私たちは、初めに言われたことを持っています。しかし神が訪れて、私たちが神を知った後にも、私たちが罪の内に留まるなら、第二のことは私たちに関わってくるでしょう。私たちがもっとも嫌う第三の災いについては、その個所に来たら探求することにしましょう。今は、第一の時に戻ります。エルサレムについて次のように言われています。すなわち、「お前の生まれた日に、お前のへその緒は切られなかった[3]」と。私たちが罪深いエルサレムの「切り取られなかったへその緒」(の意味)を見出すことができるためには、あるいは罪を犯さなかったエルサレムの切り取られた「へその緒」を説明することができるためには、私たちは神の助けが必要です。そこで「エルサレムのへその緒」であれ、聖書の他の個所から取られたその他の「へその緒」であれ、とにかく私は「へその緒」を探求して、「霊的なものを霊的なものと比較しながら[4]」、「エルサレムのへその緒」がどうして「切り取られなかった」のかを見出してみましょう。『ヨブ記』には竜について次のように書かれています。「その力はへその緒の中にあり、その強さは腹のへその緒の上にある[5]」。私は、この個所を説明したとき神の恵みが私に与えて下さったことに従って、「竜」とは敵対する力であると言ったのを覚えています[6]。たしかにこの「竜」は、「全世界を欺いた悪魔やサタンと呼ばれる古代の蛇」なのです[7]。その竜の力は「へその緒」の中にあります。またそれは疑いありません。なぜならすべての悪の源は、「腰の中に」あるからです。したがってこれから生まれるものは、「まだ父の腰の中にある」と言われるのです[8]。なぜなら「腰」の中に、人間の種が集められているからです。ですから種のあるところならどこででも、敵対する力は、そのかずかずの罠の力を示そうとするのです。男性たちに対しては、「その力」は「腰の中に」あります。女性たちに対しては、「その力は腹のへその緒の中に」あります。そして聖書が露骨な言葉で醜さを示さないようにするために、それとない言葉で男女の局部を慎み深く名指しているのをご覧ください。私たちが呼ぶについて提出した例が理解されたのであれば、どうか、男子において包皮が切り取られるのと同じように、女子においてもへその緒が切り取られるのだとご理解下さい。実際、婦人が純潔を保っており、婦人たちの清い物腰を身につけていれば、すなわち婦人が汚れた事柄や罪人たちの恥ずべき行いに陥っていなければ、その婦人の「へその緒は、切り離された」ことになるのです。これに対して婦人が罪を犯したなら、その婦人の「へその緒は切り離された」ことにはなりません。こういうわけで(預言者は)、エルサレムを婦人に見立てて、その「へその緒は切り取られなかった」と言っているのです。七十人訳は、この個所で「お前の乳房は結ばれなかった」と解釈して、逐語訳にによって表現する以上の語義を言い表しています[9]。ところで『雅歌』では[10]、「お前の乳房は、ぶどう酒に勝って善い[11]」という個所で、この「乳房」があなたのもろもろの思いと精神の意味で理解されています。また、イエズスのもろもろの知識を共有することになる人は、「イエズスの胸に寄り掛かりました[12]」。そこには、「あなたの乳房」があるのです。ですから理解が確かで、考えがよくまとまってしっかりしているとき、そして言葉が流れ去らないとき、「お前の乳房は結ばれた」のは明らかです。したがって語られたことがばらばらになって流れ去るときには、「乳房が結ばれる」ことはないのです。



[1] Cf.Ez.16,4.

[2] 省略

[3] Cf.Ez.16,4.

[4] Cf.1 Co.2,13.

[5] Jb.40,11.

[6] 省略

[7] Cf.Ap.12,9.

[8] Cf.Hom.Lv.6,6; Hb.7,10.

[9] 省略

[10] 省略

[11] Ct.1,1.

[12] Jn.13,25.

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