「そして私は、自分の血に覆われたお前を見た[1]」。それはあたかも神が、「私は」、人殺しの罪に責められ、「血」と死の罪を受けた「お前を見た」と言っているかのようです。「そして私はお前に言った。『お前の血から離れて生命に満たされよ。お前の血から立ち上がり、生命に満たされよ』と。私はお前を野の若草のようにした[2]」。私は、お前が「投げ出された」後、お前を憐れんだ。「私は、お前が血」と罪に覆われているのを「見た」。そして私はお前を「野の若草のように」した。「そしてお前は増えた[3]」。「私がお前のもとに来て、投げ出されたお前のところを訪れた[4]」ので、私は、「お前が増える」原因になったのだ。「そしてお前は増え、偉大になった[5]」。私はお前を数多くし、偉大にした。すなわち「お前を成長させ、増やした」。たしかに私たちは、このことを通して成長し、増えるのです。「そしてお前は、町から町へと入っていった[6]」。(預言者は)「町から町へ入っていった」エルサレムの間違いを再び説明しています。しかしどうしてエルサレムが、罪深くも「町から町へ入っていった」のか、私たちは考察してみましょう。教会人の誰もが、異端や神とは無縁の教えの巣食うそれぞれの「町」を通り、そのような「町」に参与するようになると、次の言葉を聞くことになるのです。「お前は町から町へ入っていった。お前の乳房は形が整った[7]」。それてお前は、これほどの罪の後でもさらに栄え、「お前の時、変向者たちの時がお前に訪れた[8]」。私は言われます。「比喩的に解釈しないでくれ、象徴的に説明しないでほしい」と。しかしお答え願いたい。「エルサレムは乳房を」持っていた。そして「その乳房が結ばれなかった[9]」時、「その乳房の形が整った」時があった。さらにエルサレムは、「臍の緒」を持っていた。そして「臍の緒を切られなかった[10]」ので、非難された。どうしてこれらの言葉が、比喩的解釈[11]なくして理解されるのでしょうか。「お前の乳房は形が整い、お前の髪の毛は伸びた[12]」。神のみ言葉は、極めて率直に、乙女たちの身体に起こるのが常なことを叙述しています。「そしてお前の髪の毛は伸びた。しかしお前は裸となり、辱められた[13]」。「イエズス・キリストを身に着けて[14]」いない人、その人は裸なのです。「隣人を支えるために、憐れみの腸、慈しみの腸、謙遜の腸、柔和の腸、寛大の腸を身に着けて[15]」いない人、損人は「辱められて」いるのです。「しかしお前は裸となり、辱められた。そして私はお前の傍らを通った[16]」。再び神は、エルサレムの「もとを訪れました」。そして罪を犯したエルサレムを「見ました」。神は罪のゆえに離れます。しかし再び戻ってこられます。慈しみ深くやさしい神は[17]、再び訪れてくださるのです。「そして私はお前のもとに来て、お前を見た。そして見よ、お前の時と変向者たちの時があった[18]」。「お前のとき」とは、何を言っているのでしょうか。その「時」とは、年頃となって姦淫を犯し得る思春期を意味しています。さらに(預言者は)、「変向者たちの時」と言っています。これらの「変向者たち」とは誰でしょうか。私たちが「子ども」である限り[19]、私たちのところに変向し、(私たちを)滅ぼそうと企てる者たち、すなわち極悪のキリスト者たち、汚れた悪霊ども、悪魔の使いたちは、私たちのところに変向する手掛かりを持ちません。しかし私たちが歳を加え、罪を犯すことができるようになると、彼らは「変向することによって」私たちのところに近づこうとします。しかもこのことを、神のみ使いもサタンの使いもするのです。しかし両者が共に私たちのところに変向するのは不可能です。私たちが罪を犯すと、悪魔の使いどもが私たちのところに変向するのです。私たちがしっかりとした足場に立てば、神のみ使いたちは私たちのところに変向するのです。こうして「お前の時と変向者たちの時[20]」が来ました。「変向者たちの時」が来てしまったので、私たちの神である主イエズス・キリストは、哀れなエルサレム、すなわち罪深い私たちの魂のところを再び訪れてくださるのです。「私はお前に私の翼を広げた[21]」。聖書はよく、衣服の裾を「羽」と呼びます。たとえばルツは、ボアズの「足元に密かに来て、忍びより」、彼の衣の「翼」の下で寝ました[22]。このようなわけで神は、衣服を着ているかのように語られるのです。「私はお前に私の翼を広げた。そして私は、お前の恥辱を覆った[23]」と。幸いなるかな、神の「翼で恥辱を覆われた」人は。ただしその人は、エルサレムが堪え続けようと望まなかった至福に粘り強く留まっていなければなりません。「そして私はお前と契約を結ぶ誓いを立て、お前と契約を結んだ[24]」。神が戻ってきても(エルサレムは)多くの罪を犯し、その都度神は去っていきましたが、神は、このように度重なる訪れの後で、今やようやくエルサレムと「契約を結ぶ」のです。



[1] Ez.16,6.

[2] Ez.16,6.

[3] Cf.Ez.16,7.

[4] Cf.Ez.16,7.

[5] Ez.16,7.

[6] Cf.Ez.16,7.

[7] Cf.Ez.16,7.

[8] Cf.Ez.16,8.

[9] Cf.Ez.16,4.

[10] Ez.16,4.

[11] 省略

[12] Ez.16,7.

[13] Ez.16,7.

[14] Cf.Rm.13,14.

[15] Cf.Col.3,12s.

[16] Ez.16,7.8.

[17] 省略

[18] Ez.16,8.

[19] Cf.1 Co.13,11s.

[20] Ez.16,8.

[21] Ez.16,8.

[22] Cf.Rt.3,7.9.

[23] Ez.16,8.

[24] Ez.16,8.

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