「そしてお前は私のものになった。そして私は、お前を水で洗った[1]」。これらすべて後、私はお前を取り、私みずから「お前を救いのために洗った[2]」。「そして私は、お前の血をお前から洗い落とした[3]」。私たちはこの言葉を理解したからには、神の憐れみが私たちを訪れ、私たちの魂から「血を洗い落としてくださる」ように祈りましょう。実際、もしも私たちが死に値する何かを行ったとすれば、それが私たちの「血」なのです[4]。「私はお前からお前の血を洗い落とし、お前に油を塗った[5]」。神は私たちを、まさに油注がれたキリストにすることを望んでおられるのです[6]。「そして私は、お前に色取り取りの衣を着せた[7]」。エルサレムの魂一人ひとりに対する神の慈しみは何と大きいことでしょう[8]。神は、ご自分を信じる人たちに、単色の貫頭衣を与えてくださるのではなく、とても多彩な貫頭衣を与えてくださるのです。この「多色の衣」をもう既にヤコブが象徴的に作って、自分の息子ヨセフに着せています。「そしてヤコブは、彼に多色の衣を着せた[9]」とあります。もしもあなたが神聖な知識や善き行いをお考えになるなら、「救いに」招かれた人たちに神の訪れが惜しみなく与えてくださる「多彩な貫頭衣」を、あなたは本当に見ることができるでしょう[10]。私は律法を理解している。預言者を把握している。福音を知っている。使徒は私から逃れられない。私は慎重で、正しく、憐れみ深い。そしてあなたは、神がエルサレムに次のように言って「着せた」のと異なる「多色の貫頭衣」を探しているのですか。「そして私は、お前に多色の衣を着せ、ヒヤシンスの靴を履かせた[11]」と。神は私たちの履物が花のように美しく、華麗に彩られていることを望んでおられるのです。履物とは何でしょうか。パウロがよりはっきりと宣言している言葉をお聞きください。「あなたがたは、平和の福音の準備として足に履物を着けなさい[12]」。



[1] Ez.16,8.9.

[2] Cf.Ez.16,4.

[3] Ez.16,9.

[4] Cf.C.Celse VIII,6.25;De Princ.II,2,5;Ez.16,9.

[5] Ez.16,9.

[6] 省略

[7] Ez.16,10.

[8] 省略

[9] Cf.Gn.37,2.

[10] 省略

[11] Ez.16,10.

[12] Ep.6,15.

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