別の罪が続きます。「そしてお前はお前に栄光をもたらした金銀の器を取って、私が与えたものから男の像を作った[1]」。一般的な意味ではこの言葉は次のように理解することができます。「栄光をもたらした器」――これについてモーセは、『民数記』の中で「香炉、平皿、金の燭台、内側と外側と黄金で塗られた櫃」と書いています[2]――そのような器を「お前は取って」、それらをつなぎ合わせ、「男の像を作り、それらと姦淫を行なった」と。しかし比喩的な意味では次のように説明できるでしょう。金銀の「器」、すなわち「香炉、平皿」、およびその他これに類するものを、私たちは聖書の中に持っています。ですから私たちが聖書の意味を、真理に反する意味に じ曲げるとき、私たちは神のみ言葉をつなぎ合わせ、神の事柄を別の「像」に変えてしまうのです。もしも私たちがこのようなことをすれば、エルサレムがここで犯した罪に私たちも陥るのです。私たちに「栄光をもたらす器」とは、律法と預言です。それゆえに私たちは喜びの声を上げ、私たちはそれゆえに誇りを持つっているのです。私たちが真理に反する説明をすると、私たちは、神が私たちに与えて下さった理性的な「銀」と感覚的な「金」でできた私たちの「栄光をもたらす器」を作り変え、「男の像を作り、それと姦淫を行なうのです」。



[1] Ez.16,17.

[2] Cf.Nb.4,7; 7,13s; 8,2s; 3,31.