「そしてこれらすべてのお前の悪事の後に、こんなことが起こった。禍だ、お前は禍だ、と神なる主は言われる。お前は自分のために、売春宿を建て、すべての通りで身をさらした[1]」。もしもあなたがその愛人たちに身をさらした魂を考えてみますなら、あなたはどのようにしてその魂が「売春宿を建て」、いま言った愛人たち全員を受け入れるかがお分かりになるでしょう[2]。しかし私たちが、従ってくる者たちと言うことで何を言おうとしているのか、すなわちエルサレムの愛人たちは誰なのかを理解してください。人間の魂はとても優美で、驚くべき美しさを持っているのです。実際、魂の造り手であるお方は、魂を最初に創造されたとき「人間を我々の像と似姿とにかたどって作ろう[3]」と言われました。一体何がこの(魂の)美しさや「似姿」よりも美しいでしょうか。そこで汚らわしく不貞な幾人かの愛人たちは、その魂の優雅さに魅せられて、魂を堕落させ、その魂と「姦淫を働く」ことを望むのです[4]。これゆえ知恵のある男であるパウロはこう言っています。「しかし私は、蛇がその悪巧みによってエバを欺いたように、我々の感覚を堕落させやしまいか恐れています[5]」と。肉的な姦淫においては、身体が「堕落します」。しかし精神的な汚れにおいては、「感覚が腐敗します」。そして魂そのものが傷つくのです。



[1] Ez.16,23.24.

[2] 省略

[3] Gn.1,26.

[4] Ez.16,16.

[5] 2 Co.11,3.

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