「そしてお前は自分の容姿を汚した[1]」。たとえ人間が最悪の罪に陥っていなくても、どれほどその魂の美しさが目を見張るものであっても、人間は、より小さな罪との交わりによって汚されてしまうのです。あなたは、神によって魂に植え込まれた魂の諸能力をご覧ください[2]。魂の美しさ、発明の才、心掛け、話し振り、記憶力、言い方を見てください。どのような才能があるかご覧ください。そして魂が先ずどのようにして理解し、次いで理解したものをどのように判断するのかをご覧ください。魂が諸々の感覚に向かい、感覚されたものを精神に合わせるさまを見てください。魂がどのような衝動をもち、神についてどのような考えを抱いているかをお考え下さい。これらの能力を持っている魂は偉大な美しさを持っています。しかし異端者たちの諸分派と宗教とは異質の教えとによって「腐敗される」のです。「そしてお前の両足をすべての通りで広げ、お前は姦淫を重ねた[3]」。そして「姦淫」には色々あり、ある人は肉の「姦淫」において甚だしい姦淫に陥ることはなくても「姦淫」によって汚れ、また他の人は「自分の姦淫を重ねる」ように、魂と感覚を汚す「姦淫」においても、ある人は多くの「姦淫」によって圧倒され、またある人は「姦淫」からもはや切り離されることはありません。したがって「私たちが量ったその計りで、私たちも量り返される」ことになるのです。



[1] Ez.16,25.

[2] 省略

[3] Ez.16,25.

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