「そしてお前は、自分の隣人であるエジプトの息子らと姦淫を行なった[1]」。「エジプトの息子ら」とは、敵対する霊的存在者どものことです[2]。エジプト人たちが私たちの「隣人」であると言われていることは、驚くべきことではありません。なぜならエジプト人たちの国境とエルサレムの国境は、隣接しているからです。彼らは「大きな肉[3]」を持つと言われていますが、それはエジプト人たちが「強力な肉体」を持っているからではなく――この言葉は、彼らの破廉恥を、言葉を変えることによって、すなわち「大きな肉」ということによって上品に意味しているように見えます――、彼らが私たちに「大きな肉」の肉的な理解を得させようとしているからです。したがってこれとは反対に、神よ、あなたがお造りになる肉があります。これについてこう言われています。「私の肉は、乾ききって水も道もない大地の内にいるように、私の魂はあなたの聖所に現れた[4]」。ですから「エルサレムは、大きな肉を持つ自分の隣人であるエジプトの息子らと姦淫をした[5]」のです。「そしてお前は私を怒らせるために姦淫に姦淫を重ねた[6]」と(主は)言っています。お前は、私を激憤させるために、多くの種類の姦淫を犯した。「そして私は、私の手をお前に伸ばし、お前の分け前を奪い、お前を嫌う者たちの諸々の魂に、異国人たちの息子らに、お前を渡した[7]」。あなたは、「(エルサレムが)異国人たちの諸々の魂に渡された」ことがお分かりです。エルサレムは、律法の恵みや神のみ言葉の恵みに相応しくなかったのです。「何がお前を、お前の道から逸らしたのか。お前は不敬虔に振る舞い、アシュルの子らと姦淫を行なった[8]」。最初に、「エジプトの子ら」と姦淫を行ない、次に「アシュルの子ら」と姦淫を行ないました。これらの子らは、罪の様々な種類を示します。確かにアッシリア人たちがイスラエルの子らを捕らえて捕囚にしたとき、歴史書が述べていることは実現いたしました。しかもそのことは、霊的なアッシリア人たちによって頻繁に行なわれる私たちの捕囚に対しても書き記されているのです。使徒は、この霊的なアッシリア人たちについて、こう述べています。「私たちの戦いとは、肉と血に対するものではありません。それは、邪悪な霊的存在者どもに対する戦いなのです[9]」。



[1] Ez.16,26.

[2] 省略

[3] Ez.16,26.

[4] Ps.62(63),1-2.

[5] Ez.16,26.

[6] Ez.16,26.

[7] Ez.16,27.

[8] Ez.16,27.28; Hom.Nb.19,3.

[9] Ep.6,12.

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