「しかしそれでもお前は、飽き足らなかった。そしてお前は姦淫を行なったが、それでもお前は飽き足らなかった[1]」。ある人が、罪を犯しても「満たされる」ことなく、常に以前の罪に新しい罪を継ぎ足してばかりいて、「数々の不義を長いひものように、雌牛のくびきの皮ひものように集め[2]」、決してよりよい方向に回心せず、自分の数々の悪について悔い改めをしない場合には、その人に関して、「お前は飽き足らなかった」と言われるのです。「そしてお前は、カナンの地に対して私の契約を繰り返した[3]」。神が私たちに「契約」を立てて、私たちがそれに同意するとき、私たちは幸せです。しかし私たちが「不義の霊ども」と「姦淫を行なう」とき、私たちは、神との「契約をカナンの地に」向けて、カナンの地と契約を結ぶことになります。私たちが他のどんな罪についてであれ非難されるときには、「カルデア」についても、その他の民についても、どうかこれと同じことを理解してください。「そしてお前は、カルデアと契約を結び、それでも飽き足らなかった[4]」と。



[1] Ez.16,28.

[2] Cf. Is.5,18.

[3] Ez.16,29.

[4] Ez.16,29.

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