さて今度は、単にすべての通りに「汚らわしい家を建てる」のではなく、「すべての通りの頭に」それを建てるのはどういうことか、また「すべての通りの頭に汚らわしい家を建てる」のでは十分ではなく、更に「すべての広場に台座まで置いた」のはどういうことなのか、私たちは解釈してみたいと思います。エルサレムは、「すべての通りの頭に汚らわしい家を建てた」とき、そして「売春婦となったエルサレムが台座を作り」、それを「すべての広場に置いた」とき、二つの一般的な罪を犯しました。これらの「道」とは何でしょうか。「お前たちは、諸々の道に立ちなさい。そして主の数々の永遠の小道を尋ねよ。そしてどれが善い道が見極めよ。そしてその道を歩みなさい[1]」とあります。「永遠の道」はたくさんあります。あなた方は、私がしばしば提示した説明を覚えていれば、モーセや預言者たちのそれぞれが「道」であることに思い至ると思います[2]。そして「一つのもっとも貴重な真珠[3]」を目指す人が必然的に所有する「真珠」がたくさんあるのと同じように、「私は道である[4]」と言う方のもとに行く人は、モーセやすべての預言者たちの多くの道を歩まなければなりません。しかし誰かが、私に言うでしょう。あなたが語ったことは目下の話題のどう関係するのかと。私は、その人に次のように答えましょう。「エルサレムは、すべての通りに汚らわしい家を建てました」。もしもあなたが、真理とは無縁なすべての異端者たちが、モーセの書に読まれる言葉や、イザヤやエレミアやその他の預言者の内に見出した言葉で家を建てているのをお考えになるなら、あなたは、(彼らの)新しい教えがエルサレムの姦淫であることを理解するでしょう。そしてこのエルサレムは、汚らわしい家をすべての道に建てたのではなく、「すべての道の頭」に建てたのです。実際、モーセの(教えの)初歩や預言者たちの(教えの)初めを後にして、教えの深みと万物の知識に到達する段階にまで進んだ人には、あの「すべての通りに汚らわしい家を建てた娼婦」は、何もすることができません。娼婦が探し求めているのは、初めて教会に足を運ぶ人、信仰の初歩を受けている人、諸秘跡を知らない人です。彼女は、「売春の家を建てて」、信仰の初めにある人をその汚らわしい家に導き入れようとするのです。そして姦淫という言葉がしばしば聖書の中で語られていますので、その言葉が使われる理由を説明したいと思います。教会において教師となっている教会人は、自分のであれ、その他の人のであれ、人々の品行を清め、この熱意によって神の家である教会を建設します。そして彼ら教師たちの業は、神による建築の業です。これに対して異端者たちは、「すべての道に汚らわしい家を建てます」。たとえば、ヴァレンチノスの工房に属する教師、バシリデスの集団の教師、マルキオンの幕屋の教師や、その他の異端者たちの教師は、「売春婦の家を建てています」。確かにすべての悪人たちの集まりは、「汚らわしい家」なのです。しかし聖書は、何と言っているでしょうか。「我が子よ、悪い女のところに行ってはならない。なぜなら売春婦の唇から蜜が滴り落ちているからだ[5]」とあります。この蜜はどこから滴り落ちてくるのでしょうか。「売春婦の唇から蜜が滴り落ちている」とあります。娼婦は、モーセのところ、イザヤのところ、エレミアのところに向かい、彼らの著作から蜜を集めたのです。「モーセがこのことを語った、イザヤがこのことを語った」と言う異端者たちのところに進んでください。そうすればあなたは、これらの預言者の唇から蜜が流れでているのではなく、聖書からほんのわずかの言葉を盗み出した人々の唇から蜜が流れ出していることがわかるでしょう。また「売春婦の口ぶるから滴り落ちている」。「彼女は、すべての道の頭に汚らわしい家を建てる」とあります。そこで、この「汚らわしい家」は、理解されたことにいたしましょう。次に私たちは、売春婦のエルサレムがすべての通りに置いた「足台」を解釈しなければなりません。(聖書の)別の個所には、「売春婦が通りで道行く人にあけすけに声をかける[6]」さまが書かれています。罪は、異端や民の付き合いなどを通して、実に様々な仕方で我々を引き寄せようとしています。異端を通してとは、異端が「すべての通りに汚らわしい家を建てる」からであり、民の付き合いを通してとは、民の付き合いが「すべての道に足台を置く」からです。「実際、滅びに向かう道は広く開けています[7]」。ですから(異端者)が語り、そして聞いている人々に吹き込もうとする事柄を聖書の中から主張するとき、(彼は)「すべての道の頭に汚らわしい家を建てている」のです。道徳的な論題がなおざりにされ、不謹慎な事柄を尾話題にして、聴衆の歓心を買うなら、その人は、「すべての道に足台を置く」以外の何をしているでしょうか。



[1] Jr.6,16.

[2] 省略

[3] Cf.Mt.13,46.

[4] Jn.14,6.

[5] Pr.5,2.3.

[6] Cf.Pr.9,15.

[7] Mt.7,13.

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