第一講話[1]

 「元の中で神は天と土地を作られた[2]」とあります。すべてのものの元とは何でしょうか――私たちの主、そして、「すべてのものの救い主[3]」、イエス・キリスト、「一切の被造物の初子[4]」でなくして。ですから神は、この元の中で、すなわち、ご自分のみ言葉の中で、天と土地を作りました――福音記者ヨハネも、自分の福音の始めの中で言っているように。彼は言います:「元の中に言葉があった。そして言葉は、神の許にあった。そして言葉は神であった。これは、元の中で神の許にあった。すべてのものは、それによって作られた。そしてそれなくしては何もののも作られなかった[5]」。(彼は)ここで、何らかの時間的な元を言っているのではなく、「元の中で」、すなわち、救い主の中で、天と土地と、そして、作られたすべてのものとが作られたと言っています。

「しかし土地は、不可視的で無形であった。そして諸々の闇が深淵の上にあった。そして神の霊が、諸々の水の上で運ばれていた[6]」とあります。言葉の順序が言明しているところによると、神が「光あれ[7]」と言う前は、そして彼が、光と諸々の闇とを分ける前は、「土地は不可視的で無形でした」。しかし、引き続く諸々の箇所の中で[8](神は)、天蓋が成れと命じ、そして、これを天と呼んでいますから、私たちがその箇所に来たったとき、そこで、天と天蓋の違いの理拠が言われ、更になぜ天蓋が天と呼ばれたのかが言われるでしょう。さて今、彼は、「諸々の闇は、深淵の上にあった[9]」と言っています。深淵とは、何でしょうか。勿論それは、「悪魔とその使いがいるであろう」それです。確かにそのことは、極めて明白に、福音の中でも示されています――救い主について次のことが言われるとき:「そして、彼が追い出していた悪霊たちが、深淵に行くことを命じないように懇願していた[10]」と。

ですからそれ故、神は諸々の闇を散らしました――()文書が次のことを言うことによって:「そして神は言った:光が成れ。そして光が作られた。そして神は光を見た。なぜなら光は善いものだからである。そして神は、光の中間と諸々の闇の中間とを分けた。そして神は、光を昼と呼び、そして、諸々の闇を夜と呼んだ。そして、晩が作られ、そして、朝が作られた。一日である[11]」。

文字に従えば、神は光を昼と呼び、そして、諸々の闇を夜と呼んでいます。

他方、霊的な知解に従えは、私たちは次のことが何であるかを見ましょう:私たちが上に言った始めの中で「神が天と土地を作られた[12]」とき;また、「光が成れ[13]」と言われ、そして、「光と諸々の闇との中間を分け、そして、光を昼そして諸々の闇を夜と呼んだ[14]」とき、そして、「晩が作られ、朝が作られた[15]」と言ったとき、彼が「第一日」と言わずに、「一日」と言ったこと。なぜなら、世界がある前は、時間はまだなかったからです。引き続く諸々の日から時間は存在し始めます。すんわち第二の日と第三の日と第四の日とその他のすべての諸々の日が時間を示し始めます。



[1] 以下は、読みやすさを無視した文字通りの直訳である。意訳を望む者は、原語に当たるべきである。

[2] Gn.1,1.

[3] Cf.1Tm.4,10.

[4] Cf.Col.1,15.

[5] Jn.1,1-3.

[6] Gn.1,2.

[7] Gn.1,3.

[8] Gn.1,6-7.

[9] Gn.1,2.

[10] Lc.8,31.

[11] Gn.1,3-5.

[12] Gn.1,1.

[13] Gn.1,3.

[14] Gn.1,4-5.

[15] Gn.1,5.

 

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