11 「そして神は、言った:土地は、生ける魂を類に従って生み出せ、そして土地の四足獣たちと這うものたちを類に従って(生み出せ)。そしてそのようにされた。そして神は土地の獣たちを類に従って、そして土地のすべての這うものたちを類に従って作った。そして神は、それらが善きものであることを見た[1]」とあります。

文字に従う限り、如何なる問題もありません。実際、明らかに、動物たちや這うものたちや獣たちや土地の上の這うものたちが、神によって創造されたと言われています。

しかしそれらのことを、私たちが上で霊的な知解に即して説明した諸々の事柄に適応することは無駄な事柄ではありません。

前の箇所では、「諸々の水は、生ける魂たちに属する這うものたちと、天の天蓋に即して土地の上を飛ぶものたち生み出せ[2]」と言われました。しかしこの箇所では、「土地は、生ける魂を類に従って生み出せ、そして土地の四足獣たちと這うものたちと獣たちを類に従って(生み出せ)[3]」と(聖文書は)言ったいます。実に、諸々の水から産み出されたものたちは、心の深淵から産み出される私たちの精神の諸々の動きと諸々の考えであると知解されるべきだと、私たちは言いました。他方いま、「土地は、生ける魂を類に従って、土地の上の四足獣たちと這うものたちと獣たちの()を類に従って生み出せ[4]」と言われていることで、私たちの外的人間の、すなわち、肉的で土地的な人間の諸々の動きが示されていると、私は思っています。要するに(聖文書は)、肉について語る諸々の箇所の中で翼あるものを何一つ示しておらず、むしろ単に「四足獣たち」と「這うものたち」と「土地の獣たち」だけを示しました。実に使徒によって言われていること、すなわち、「私の肉の中に善きものは住まない」、そして、「肉の知恵は神に敵対的である[5]」という言葉によれば、疑いもなく、土地が、すなわち、私たちの肉が生み出すものです。それらについて使徒は、再び命じて言っています:「あなた方は、土地の上にあるあなた方の諸々の肢体を死なせなさい:姦淫、不純、放蕩、貪欲、偶像崇拝[6]」など(を死なせなさい)と。ですから、見られるそれらすべてのものは、神の命令によって、彼のみ言葉を通して成るのであり、この巨大な可見的な世界が準備されるとき、しかし同時に、更に比喩の形象によって、より小さな世界すなわち人間[7]を装飾し得る諸々のものが明示されるそのとき、人間自身が、引き続く諸々の箇所の中で言明される諸々の事柄に即して人間自身が創造されます。



[1] Gn.1,24,-25.

[2] Gn.1,20.

[3] Gn.1,24.

[4] Gn.1,24.

[5] Rm.8,7.

[6] Col.3,5.

[7] 省略

 

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