しかし、引き続く諸々の箇所から、神ご自身がその名前を惜しみなく与えたところの土地に生み出せと命じる諸々の実が何であるかを、私たちは見ましょう。「そして神は、それを善いと見た。そして神は言った:『類に即して、そして、類似に即して種を生み出す野の草を土地は生み出すべきである。そして、実を作る実り豊かな木――その種は、その中に、土地の上で類似に即してその(実の)中にある――を土地は生み出すべきである』。そしてそのように為された[1]」と(聖文書は)言っています。

文字に従うと、それらは、乾いていない土地が生み出した諸々の実であることは明らかです。

しかし再び私たちは、(それらの実を)私たちの方にも宛てて見ましょう。既に私たちが「土地」として作られているなら、既に私たちが「乾いた」(土地)でないなら、私たちは、豊富で多様な諸々のみを神にもたらしましょう。それは、私たちも御父によって祝福されるためです。御父は言っています:「見よ、私の子らの香りを;それらは、主が祝福した豊饒な野の香りよう[2]」。それはまた、使徒が言っていることが私たちの中で成就されるようになるためです:「実際、土地――その上に頻繁に来る雨を受け取るところの土地、それを耕す人たちに適時な草を生み出す土地――は、神から諸々の祝福を受け取るでしょう。他方、諸々の棘と諸々の茨をもたらす土地は、見捨てられて、呪いに最接近したものとなります。その終わりは、焼却の中に向かいます[3]」とあります。



[1] Gn.1,10-11.

[2] Gn.27,27.

[3] He.6,7-8.

 

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