「そして、それら(の発光体)は、諸々の印の中へ、そして諸々の時間の中へ、そして諸々の日の中へ、そして諸々の年の中へ在りなさい。そして(それらは)照らすために天の天蓋の中でなりなさい――それらが土地の上で輝くために。そしてそのように作られた[1]」とあります。

私たちが見るそれらの天の発光体は、天の天蓋から、土地の上にある諸々のものに輝くようになるために、「諸々の印の中へ、そして、諸々の時間と諸々の日と諸々の年との中へ在ります」。それと同じような仕方で、更にキリストもご自分の教会を照らしつつ、ご自分の諸々の掟を通して諸々の印を与えます。それは、どのようにして誰が、印を受け取ることによって、「襲来する怒りから[2]」逃げ、「その日が盗人のように彼を捕まえないように[3]」、むしろ、「歓迎され得る主の年[4]」の中へ到達できるようになることを(教会が)知るようになるためです。

ですからキリストは、「この世の中に来る一切の人間を照らす真の光[5]」です。そしてその光から照らされた教会そのものがまた、「諸々の闇の中にいる者たち」を照らす「世の光」になります[6]――キリストご自身も証ししてご自分の弟子たちに言っているように:「あなた方は世の光である[7]」と。このことから、キリストが実に使徒たちの光である一方、使徒たちが世の光であることが明示されます。なぜなら彼らは、「滲みも皺もそれに類するものを持たず」、真の教会だからです。それは、使徒も言っている通りです:「それは彼が、滲みも皺もその他それに類するものを持たない栄光ある教会を自分自身に提示するためです[8]」と。



[1] Gn.1,14-15.

[2] 1Th.1,10; Mt.3,7; Lc.3,7.

[3] 1Th.5,4.

[4] Is.61,2.

[5] Jn.1,9.

[6] Cf.Rm.2,19.

[7] Mt.5,14.

[8] Ep.5,27.

 

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