第2章

教会の人オリゲネス

 


 

1. 二重の戦線

 聖書の寓話を嘲笑しては憤るケルソスに対して、オリゲネスは、単に同じ人間的地盤の上に立って反論を加えるだけではない。オリゲネスによると、この異教徒は、「我々の聖書の霊をまったく認めていない。そのため彼の批判は、聖書に向かっていると言うよりも、彼自身の聖書の理解の仕方に向けられている」(CC.4,17-18, 44, 53)。ケルソスは、聖書記者の意図をよく洞察せず、聖書記者の記述方法もわかっていない。もしも彼がこの点を理解していれば、彼は自分の非難を無効にする二つのことに気づいただろう。

 第一に、彼は、聖書の歴史の多くがそれ自体で正当化されること、それらの歴史はあり得ることであり、許容可能であり、建徳的であることに気づいただろう。そのためには、寓意的解釈は必要ない。この点でギリシアの寓話は、非常に異なっている。プラトンが、これらの寓話作家たちを自分の国家から追放するのは当然である。これに対して聖書に記されている大洪水には神に不適切なものは何もない。ノアの箱舟の建造は不可能なことではない。聖書をよく読んでみれば、ロトの娘たちの冒険は、良俗に反するものではない。聖書に、無益なものは何もない。それどころか、ヨセフの物語には、たいへん貴重な教訓が含まれている(CC.4,37, 40, 50, 71)。さらに我々は、聖書に何か素朴な記述な叙述が見られるとしても、知識のあるなしを問わず、すべての人に聖書は語りかけていることを考慮しなければならない。なぜなら人はみな、各自の能力や姿勢に応じて、キリストの教えを取り入れることができなければならないからである(CC.4,20, 41-42, 45, 47)

 第二に、あまり意味があるとは思われない旧約聖書の歴史的叙述も、新約聖書を根底から支える霊的現実の予型である限りで正当かれるのである。「人々は、旧約聖書の歴史的叙述予型的な意味が含まれることを理解せずに読んでいる」に過ぎない。実際、聖書は、「より高度な真理を明示するための基礎とするために歴史的事実をしばしば物語る」のである。たとえ聖書が、一見すると肉的な行動を我々に平然と物語っていようとも、それは我々が、その物語を我々の進行の精神に即して転調することを狙っているのである。したがって「先ず、その文字通りの意味を示し、次いで、神秘の覆いを取り除くように努力しなければならない」。たとえば、ヤコブが大きな富を得て、その舅ラバンの傍らで家畜の群れを増やすという例がある。ケルソスは、これを嘲笑する。「ヤコブの羊の群れに起こったことは一つの予型であり、この物語は我々の教育のために作られたものであることをケルソスはわかっていない。・・・実際、我々の間では、これらの羊がその色において様々であるのと同じように、その品行において多様な人々が、予型的にヤコブと呼ばれるみ言葉の嗣業地に入ったのである。なぜならこのヤコブとラバンの物語は、キリストの教えを受け入れた異邦人の召命の予型となっているからである」(CC.4,21, 43-44, 49)。明らかにケルソスは、このことを理解することができなかった。キリストの信仰に生きていないケルソスは、旧約聖書と新約聖書とを結ぶ絆を捉え損ねている。したがって彼が、キリスト者は「信じ難い狂気によって、何の関係もない事柄を相互に関係づけようとしている」といって避難するのは驚くに値しない。少なくとも人々は、このようなことをするキリスト者が、まさに自分たちの教会の中で破廉恥にも新規な説を唱導し、「うまく難局を切り抜けていると主張すべきではない」。聖書そのものが、その物語の幾つかには予型が含まれていると我々に知らせている。そして我々にとって「寓意的解釈」の師範は、聖パウロである(CC.4,38, 47, 51)

 したがって、教養ある異教的世界を前にした護教論的関心が、オリゲネスの寓意的解釈を動機付けているのではない。このような関心は、彼の関心の的ではなかった。まして「ヘレニズム化」の関心をオリゲネスに見る理由はまったくない。むしろ護教家オリゲネスが直面し、彼の関心を引いていたのは、キリスト教に敵対する他の二つのグループであった。それは、ユダヤ人たちと、今日我々が言うところの自称グノーシス主義者たちである。あるいはオリゲネスの慣用的な言い方では「割礼を受けた人々」と「異端の人々」である(Per.4,2,1; 4,3,2; HomJr.1,16 etc)

 モーセを賞揚する者も、モーセを蔑み斥ける者も、間違っている。なぜなら彼らは、モーセをイエス・キリストに関連付けて見ることができないからである(HomNb.7,1: ComMt.11,13-14)。彼らは皆、聖書を読むために「従うべき真の方法を知らない」。「割礼を受けた人々」は、モーセに当然帰すべき栄誉を彼に与えていない。また彼らは、「(聖書の中に)どれほど深い知恵と崇高な意味が含まれているか見分けることもできない。なぜなら彼らは、聖書を読んでも、その皮相に留まっているからである」(CC.2,4)。彼らは、「文字通りの律法から霊的な律法に上ることをイエスから習わなかった」(CC.2,1)。彼らは、「救い主に関わる預言の文字に固く縛り付けられていて、イエスを信じることを拒絶した。なぜなら「彼らの間では、救い主は、囚われ人に物質的な解放を告げ、真の神の都を地上に再建し、エフライムの戦車をほど星、バターと蜜を食べるとされているが、まだ彼らはそのようは救い主を見ていないからである」。彼らの心は、相変わらず「頑なで愚か」で、決して救い主を受け入れない。彼らは(聖書を)読みはするが、理解しないのである(HomJr.14,12)。神のみ言葉はすべて、彼らにとっては、封緘された文書である(ComMt.11,11)。彼らは聖書を手にしているが、キリストの弟子たちには、それを解釈する権利を拒んでいる。彼らは、我々に割礼と過越祭、除酵祭、食事規定、新月祭、安息日を遵守させようとしている。彼らは、盃や皿の外面、すなわち律法と預言者たちの外面をきれいにし、その外面的な意味がどれほど神聖で清いものかを示そうと努めているだけである(SerMt.23)。彼らは、聖書本文が直接に指示する意味よりももっと深い意味を一切認めず、あるいは稀に、救い主とは関係ないところに何かしら隠された神的な意味を探していはいるが(ComMt.11,11)、聖書の「意図」も「律法の目的」も理解できない(SerMt.10; 15)。「疑いもなくユダヤ人たちの不信の原因は、彼らがイエスの内に神のキリストを見ないことである。なぜなら彼らの心は、身体的な歴史にのみ向かっていて、そこに霊的なものがあることを信じようとしないからである」(SerMt.27)。なおユスティノスも、「ユダヤ人の学者たちは、聖書を理解していない。なぜなら彼らは、聖書に含まれた霊を理解していないからである」(Dialogue,c9,1; c29, 2)

 一見すると、「異端の人々」の位置づけはまったく違うように思われる。オリゲネスが常に一まとめに挙げるヴァレンティノス、バシリデス、マルキオンの弟子たちは、「様々な意見に分かれていて、あらゆる種類の神秘的な仮説を作り上げている。「自称グノーシスの信奉者たち」は、ユダヤ人が厳重に保管している聖書を巧みに斥けている。彼らは、聖書には、決してありえず、忌まわしく、不条理なことが無数に含まれていると主張する(Hom.Gn.2,2)。しかし彼らもまた、聖書を文字通りに、すなわち「肉的に受け取って」、そこに救い主の父なる慈しみ深い神の業を見ていないのである。彼らは、二つの契約の書を一致を破壊し、唯一の真の神を否定して、わけのわからぬ神を捏造し、これをより高い神と考えているのである。しかし彼らの神は、実際のところは、偶像に過ぎない。彼らは、新約聖書を旧約聖書から切り離すことによって、「神を二つに裂いているのである」(Com.Mt.10,15)。なぜなら神の一性は、律法と福音の一致と緊密に結びついているからである(Com.Rm.2,14)。彼らの神が神でないのは言うに及ばず、彼らが告げるキリストもキリストではない。彼らの告げるキリストは、でっち上げであり、その名を僭称しているに過ぎない(SerMt.46)。ユダヤ人たちがキリストを押しのけているように、彼らは、聖霊を軽視する。彼らは、おん父を認めようとしない(Hom.Jr.18,9)。したがってユダヤ人たちとまったく同じように、これらも救いの外にいる。同じ理由で、彼らは、霊的意味とは無縁である(DePrinc.4,2,1)

 三世紀の前半でも、ユダヤ教は比重に活気があり、その攻撃は手厳しかった(SerMt.114)。クリュソストモスやアウグスティヌスの時代でさえ、司牧者たちはユダヤ人たちによる非難から信者を守らねばならなかった。特にパレスチナでは、ユダヤ人の勢力は大きかったである。またカエサレアは、当時、ラビの一大中心地であった(Marcel Simon, Verus Israel, étude sur les relations entre chrétiens et juifs das l’empire roman 135-425)。オリゲネスは、ラビたちの意見を聞いて学んだばかりか、ラビたちの幾人かとしばしば対談さえしている。彼らは、おそらくオリゲネスを困らせる目的で、神の子について彼に尋ねている(CC.1,49)。少なくとも幾度かは、敵対者たちは、大勢の聴衆の面前で立ち向かい、公開討論を行った(CC.1,45)。グノーシス主義については、それが矍鑠として十全たる力を保っていたことをオリゲネスの説教は伝えている(eg.Hom.Jos.11,12,14,15)。グノーシス主義の牙城となっていたアレクサンドリアでは、「頑強この上ないヴァレンチノス派」がその威をふるっていた(Hom.Ez.2,5)。エウセビオスによると、オリゲネスのおかげで改宗し、彼の熱心で思いやりのある弟子となったアンブロシオスも、もともとはこのヴァレンチノス派に属していた(Eusèbe, Hist.eccl.6,18,1)。当時、バシリデス派の人たちは、少数であったとはいえ、アレクサンドリアに存在していたに違いない。なぜならアレクサンドリアは、その創設者の出身地だったからである。オリゲネスがマルキオン派と衝突したのは、何よりもカエサレアであったように思われる。マルキオン派のよく組織された諸集会は、シリアで、強い力を持っていた。このような状況は、注目されねばならない。なぜならこうした状況は、説教者オリゲネスの態度に何らかの影響を及ぼしたに違いないからである。実際、エイレナイオスは、異端者たちに、旧約聖書を含む聖書全体の勝手気ままな解釈から離れて、冷静な解釈をするように呼びかけていたが、これに対してオリゲネスは、旧約聖書を斥ける敵対者たちに向かって、旧約聖書を守るために霊的解釈をするように訴えていたのである。マルキオンは、旧約聖書全体を「魂的」として破棄していた。テルトゥリアヌスによると、マルキオンの『反論』は、「律法と福音の分離を狙っていた」。マルキオンは、「寓意的解釈」を根本的に斥けた。バシリデスも同様であった。ヴァレンチノスについてはどうかというと、彼は、それほど過激ではなかった。彼は、ユダヤ教の聖書の大部分を保持し、それを寓意的に解釈することによって、その中に自分の体系を見出そうとした。しかし彼の死後、ヴァレンチノス派の間に見解の相違が現れていたらしい(Tertullien, Adv. Valentinianos, c.4)。ともあれオリゲネスの説教は、マルキオンと彼の弟子アペロスに対して向けられていたように見える。

 したがってユダヤ人とグノーシス主義者は、教会にとっては依然として恐るべき敵であった(Hom.Jos.15,1)。彼らを同じ武器で一挙に攻撃することができた。教会は、霊的理解というものによって、彼らからの攻撃をかわすことができたのである。聖書は、その全体において、まったく神に相応しいもので、キリスト教の自由を阻害するものではなかった。聖書のすべての巻は、最初から最後にいたるまで完全に調和していた(Com.Jn.10,42; Com.Mt.14,4; Hom.Gn.10,5; Hom.Ex.5,3)。キリスト教は、古くそして新しい姿を呈していた。キリスト教は世界と同じく古く、曙の光のように新しかった。それは、キリストのように古くそして新しい。キリスト教は、突然の闖入でもなければ、何の裏づけもないわけではない。またそれは、過去の文字によって拘束されるわけでもない。聖書は、単に重要文献として、あるいは何か高貴な表題や驚異的な予言を含む古文書として保存されているだけではない。聖書は、その全体において本当に聖書であり、神の生けるみ言葉なのである。とはいえそれは、単なる記録文書として存続しているのではない。聖書のすべての記述は、私たちにも宛てられ、私たちに対して、「今でも」意味を持っている。なぜなら聖書のすべては、使徒パウロがテモテに教えているように、始めからそこに示されている唯一の意図に即して理解されるからである。すなわち「律法の目的は、清い心と誠実な信仰から来る愛である」(1Tm.1,5-7; Ser.Mt.10; Hom.Nb.9,4 etc)。聖書は、昨日の書であると同時に、今日の書である。聖書は毎日、キリストの信者を、その永遠の実質で養っているのである。

 このような聖書の見方は、非常に堅固なものであった。霊的解釈という武器は、決して即興で作られたものではない。この武器は、異端者たちに対して、彼らの有害な二元論を最終的に回避するための方便として、あわててでっち上げられたものではない。そもそもそれは、始めから、新約の信仰の普及を危うくし、それを歪曲しようとするユダヤ人やユダヤ化主義者に対抗するためのキリスト教の武器であった。異邦人の使徒も、これに手をかけた。これを利用しようとしない人々には、異端者たちが依拠する文書を偽典として斥ける手段しか残っていないように思われた。『クレメンスの講話』の著者は、実際に、異端者たちが依拠する文書を偽典として斥けた(PG2,103-112)。しかしそれは、破れかぶれの方策である。それは、結局、旧約聖書の破棄に向かう破局的な第一歩であった。オリゲネスは、旧約聖書の破棄――これは、キリスト教のただ中に常に再生する――が教会に致命的な打撃を与えることを知っていた。そこでオリゲネスは、この伝統的な武器を改良し、これを組織的に駆使することに腐心した。こうして彼は、聖書の掲示の統一性を救ったのである。彼は『諸原理について』でギリシア語断片で、次のように言っている。「律法と預言者たちの神は唯一である。そして旧約の神と新約の神は同じである」と(DePrinc.2,4)。彼は、ユダヤ教とグノーシス派という二つの敵とこのように対峙しながら、決して新たな説を考案しているのではないこと、新しい戦術を開始しているのではないことを自覚していた。彼はまた、神の民のための戦いの中で、自分が、脅かされた信仰の弁護者であるばかりでなく、慎ましい信者たちの保護者であることも弁えていた(Hom.Nb.25,4)。どれだけ多くの信者が、ユダヤ人のこだわる「文字」に惑わされたことが。どれだけ多くの信者が、異端者たちの約束するより深い教えに屈してしまったことか。人の心を喜ばせるぶどう酒と、み言葉の泉から湧き上がる清らかな水の代わりに、彼らは、自分たちの神話から作り上げた「知的な酢」しか提供できなかった(Ser.Mt.137)。しかし彼らは、巧妙な議論の形でこれを差し出し、我々のもっとも純朴な兄弟たちの心を容易に捕らえてしまったのである(Hom.Ex.3,2)。「ですから私たちは、私たちの兄弟のために、これらの異端者たちに対して立ち上がりましょう」(Hom.Gn.4,6; DePrinc.2,4,3)。しかし彼ら異端者たちが満たすと主張する霊的生活の必要に、聖書の適切な説明によって積極的に応えることができなければ、彼らの攻撃を跳ね返しても何の役にも立たない。信者の日ごとの糧として霊的な教えを聖書そのものから引き出すことができなければ、「グノーシスに名を借りて神の教会に反対するこれらの異端の学者たちは、我々の眼から見れば不純で危険な糧を求めて彼らの周りに群がるか弱い信者たちの魂を奪取するであろう」(Com.Jn.v,8)。こうして「み言葉の戦争」(Hom.Nb.25,4: verbi bella)は、途方もなく大きな努力を要求するのである。キリスト教護教論は、霊的な領域に及び、「霊的意味」の教説は、大規模に展開されねばならなかった。

 

2.信仰と正統性

 ここで我々は、オリゲネスを完全な主知主義者、秘教家、合理主義者と見る広く行き渡った考えを棄てるべきである。かえって我々は、彼の内に、霊性家、使徒、教会の人を見ることにしよう。彼の大胆な発言に気を取られて、彼の信仰の飛躍を見逃さないようにしよう。神学というものを最初に構築した三世紀の思想家に不可避的に伴う教理上の欠陥によって彼の純真な信仰を見誤らないようにしよう。

 彼の教養は、徹底的にキリスト教的であり、完全に教会的であった。このことを我々に思い至らせる特徴は、講話の中に多く見出される。「教会に属する私たちは・・・」(CC.2,6)。「キリストの信仰の内に生き、教会のただ中に置かれた私、教会の人は・・・」(Hom.Jos.9,8; Hom.Lv.1,1; Hom.Is.7,3 etc)。ユスティノスや、タチアノス、クレメンスは、異教からの改宗者であった。彼らは、最初に受けた教養からして、基本的に哲学者であった。これに対してオリゲネスは、みずから恭しく「教会の人」と宣言することによって(Com.Rm.III,1; Sel.Jb.xx,6; Hom.Lc.16)――この言葉は、ヒエロニムスによってもしばしば取り上げられている――彼の全精神を特徴づけるいわば天賦の性格を強調しているのである。彼が世界について語るとき、しばしばその世界は、福音的な意味で、過ぎ去る世であり、何よりもキリストが我々を解放しに来た悪しき世であった(eg. Hom.Jr.9,1; Hom.Ex.9,4: Hom.Lv.11,1; Hom.Nb.18,4 etc)。エウセビオスの証言から推して、オリゲネスは、かつてクレメンスの弟子たちのサークルに加わっていたと推察されるが、果たしてそうであろうか。オリゲネスの教育について語るエウセビオスの精緻な書でも、クレメンスへのいかなる暗示もない。オリゲネスは、父によって育てられ、彼が17歳のとき、その父は殉教した。ところが、成人を対象に講義をしていたクレメンスは、このときアレクサンドリアを逃亡していたのである。夷狄や蛮族を意味する「バルバロイ」というギリシア人の用語法を保っていたクレメンスは――この用語法は、既にフィロンに見出され(Vita Mosis,2,5)、次いでタチアノスにも見出される(Disours aux Grecs, c.12)――、モーセの教えとキリスト教を、「夷狄(バルバロイ)の哲学」と一括していた。これに対してオリゲネスは、この「バルバロイ」という言葉をエジプト人に当てはめ、これをイスラエルに属する「聖なる人たちに」対置している(DePrinc.praef.1,2; 1,3,1; Hom.Nb,25,3; Com.Mt.17,14; Com.Rm.1,14)。オリゲネスは、父の膝の上で聖書の手ほどきを受けたのだった。彼は、聖書の外に「聖なるものはない」とまで言い切る(Ser.Mt.18)。『ケルソスへの反論』を除いて、彼が世俗の著作から引用することはほとんどない。彼は、彼は、一介の私講師、講演者ではなく、何よりも要理教育者、福音宣教者であった。彼は、「教会の中でみ言葉を教える」人たちの一員であった(SerMt.47)。彼は、偶像崇拝者、異端者、「哲学者」を一からげに非難する。彼は、「人を回心させて正しく生きるようにさせる知識は、キリストにのみ由来する」こと(DePrinc.praef.1,1)、「教会の中で」のみキリストに出会うことを知っていた。教会は、キリスト輝きで充満し、人の子が充ち満ちた豊かさで臨在する真理の堅固な支柱なのである。「キリストはここにいると言って、教会の中にキリストがいることを表明しない人々に耳を傾けるべきでありません。教会は、東の果てから西の果てまで輝きわたる光輝に満たされ、真の光に満ちています。教会は、真理の堅固な支柱です。教会の隅々に人の子が臨在しています。彼はあらゆる場所にいるすべての人々のこう言っておられました。『見よ、私は、代の終わりまで、いつもあなた方と共にいる』と」(SerMt.47)。彼は、司祭に叙階されて以来、自分に与えられた真正な教会教導権を自覚的に行使してきた(Com.Jn,praef.8)。そして彼は、「秘蹟の忠実な配分者」になろうとしていた(Com.Jn.20,2)。彼は、使徒の書き残した著作を、エリコの城壁を土台から倒し、異教の祭儀とその思想を打破したイスラエル軍のトランペットになぞらえている(Hom.Jos.7,1)。異教の思想は、彼にとっては紛れもない偶像崇拝であった。なぜなら「異教の学者たちは、自分の心が生み出したものを拝んでいる」からである(Ser.Jr.xvi,19; Hom.Jr.16,9)。オリゲネスは、異教と手を結ぶんでキリスト教の信仰に反対するこの世の学者たちが、キリスト教の信仰の単純さを辱めていると見る。この「信仰の単純さ」は、オリゲネスの目には、「単純な文字」への拘泥とはまったく異なるものであった。キリスト教信仰の単純さは、積極的な徳であり、完成であった。この単純さこそ、キリストの花嫁を輝かせ、染みも皺もないものとするのである。オリゲネスは、次のように言っている。信仰の単純さこそ「魂の処女性」である。そして幼子の心と謙遜さがそれに随行すると(HomLv.12,5 et 7)

 救い主への傾倒の内に、我々はオリゲネスに特有の優しい語調を知ることができる。彼は、『ケルソスへの反論』の中で、パルカルを思い起こさせるような高貴な語調で救い主について語るだけではない(CC.1,29-30)。彼は、『諸原理について』のなかで、受肉の神秘は、恐れと戦慄をもって観想しなければならないといって、その神秘を他の何よりも驚き惑わせるものとして、特に荘厳な言葉遣いで祝うだけではない(DePrinc.2,6,1-2)。彼は、『雅歌注解』の中で、異教に由来する協会の歌を借りて「キリストさま、私はあなたの許に参ります。なぜなら私は、あなたのお言葉が真理であることを知ったからです。この代の学者や哲学者たちが私に語った言葉はすべて、真実ではございません。あなた様の中にあるお言葉だけが真実なのです!」と叫んだだけではない(Com.Ct.2)。彼はまた、もっと親密な感情を抱いている。彼は、聖書におけるイエスの名の最初の登場を感激をもって称え、罪人は決してこの名を持つことはできないと言う(Hom.Ex.11,3; Hom.Jos.1,1; Ser.Mt.121)。我々は、イエス以外の人をまねてはならないと、彼は言う(Hom.Ez.7,3; DePrinc.4,4,4)。イエスの他に、愛すに値するものはない(Com.Jn.1,10)。オリゲネスは、人々がおん父に向けるのと同じ愛でイエスを愛するように望む。いやむしろ、イエスおいて神を愛するように願う(Hom.Lc.25; Com.Ct.3)。彼は、おん父に対するのと同じようにイエスに祈り、また祈るように勧める(CC.5,4:;5,11; 5,12; 8,26; 8,67; Hom.Ex.12,3; Hom.Lv.1,1; Hom.Nb.13,5; Hom.Ez.3,4; 12,5; Hom.Lc.15; Com.Rm.8,4)。オリゲネスにとってキリストの不在は、正義の不毛であった(Hom.Ez.2,4)。特に彼の講話の中で、イエスに対する信心の高揚が見られ、その信心は我々の信心と決して切り離され得ない。イエスに対するオリゲネスの熱烈な信心は、彼の教義的な関心と切り離されるものではないが、教会の伝統の中で正当な場を獲得し、完全に開花するには、なお時間が必要であった。聖ベルナルドのはるか昔の先駆者として、オリゲネスは、イエズスのみ名の力と甘美さをほめたたえた(CC.1,67; 3,24)。彼は、イエズスが、孤独と心の静寂の中でのみ見出されることを知っていた。彼は、人々が熱心に、粘り強く、そして必要とあらば苦しみと痛みの内にイエズスを捜し求めること、人々がイエズスと親しく交わりながら暮らすこと(Com.Mt.X,1)、人々が彼に尋ね、彼の応答を聴くことを願っていた。そしてイエズスの応答を聞くことは、彼にとって、聖書の意味を探求することに他ならなかった(Hom.Lc.18,19,32)。そして彼は、イエズスの甘く甘美な声を聴くに相応しくなるためには謙遜になる必要があると説いた(Com.Mt.11,17)。彼は、人間が期待することができ、そして神が与えることができるすべての全は、イエズスに要約されると言い切る(Com.Jn.1,9-10)。彼は、イエズスを観想し、「心優しい愛情の絆で」イエズスに結ばれている人々を賞賛する(Com.Rm.5,10; Com.Mt.11,5)。また自分の知識よりも、イエズスのみ言葉を信じることを好む人々を賞賛する(Ser.Mt.80)。彼は、幼きイエズスに微笑みかけるとともに、彼の受難の苦しみと惨めさに深く心を痛め、人々を感動かせる(Ser.Mt.113)。「彼は言う。なぜあなたは立ち上がるのですか。彼は言う。なぜあなたは急ぐのですか。それはあなたのために、私が激しい嵐に耐えたからです。あなたのために、私は、激しい嵐を受けました。それはあなたのせいです。あなたのせいで私の魂は、死に絶えんばかりの悲しみに沈みました」(Hom.Ct.2,12)。オリゲネスは、イエズスの厳かな沈黙に敬服する(Hom.Jr.19,12)。彼は、福音の冒頭部に思いを凝らし、ヨセフに身を託したイエズスから、人がどれほど偉大であろうとも、謙虚に身を託すことほど善いことはないと学ぶ(Hom.Lc.20)。人となられたキリストとその母マリアとの親しい交わりなくしては、真のキリスト教生活はないと彼は告げる(Com.Jn.1,4)。彼はその講話の随所で、「私のイエズス」、「私の主」、「私の救い主」と言う。こうした私的発言は、聖書からの引用文の中にまで入り込んでいる(Cf.Hom.Ex.3,2)。ここにはパウロの影響があるかもしれない。パウロは、「私の主キリスト・イエス」と言っている(Ph.3,8)。しかしオリゲネスの場合には、何がしかの新しさを含んでおり、いわばキリスト教信仰の奪取である。なるほどテルトゥリアヌスなども、「私のキリスト」という発言を残している(Adv.Marcionem,1.3, c.17 et 19; 1.4, s.13,21 etc)。しかし彼の場合にはこの表現は、たんに「私にとってのキリスト」、「私の信仰が描き出すキリスト」、マルキオンが考えているような「マルキオンのキリスト」(op.cit.1.4, c.10,13,14 etc: Jesus Marcionis)に対置して掲げるキリストである。同様にテルトゥリアヌスは、真のキリストは「創造主のキリスト」、「イザヤのキリスト」、「預言者たちのキリスト」などと言う。またモーセやパウロについて論じるときも、「私のモーセ」、「私の使徒」と言う(op.cit.1.4, c.8,13,18,28; 1.5, c.1)。これらの表現が見出される『マルキオン論駁』でえ問題になっているのは、「二人のキリスト」、すなわち互いにぶつかり合う二つのキリスト理解であった。テルトゥリアヌスが「私の」という一人称単数形を使うのは、マルキオンのキリストと対決するためである。テルトゥリアヌスは、「お前のキリスト」といってマルキオンに切り返す。この二人の男は、正当と異端――テルトゥリアヌスの立場に立って言えば、マルキオンの異端的教会と偉大な普遍の教会――を巡ってつばぜり合いをする。テルトゥリアヌスが「私のキリスト」と言うとき、それは、「教会のキリスト、普遍の伝承のキリスト、正統信仰のキリスト」とまったく等価であった。しかしオリゲネスの場合には、趣をことにしていた。オリゲネスは、福音記者ヨハネと同じように、「イエズスの胸に寄りかかっていた」のである(Com.Jn.praef.4)。その青年時代からキリストのためなら殉教をもいとわないと決めていたオリゲネスにとって、キリストは、常に彼の心の奥底を捉えて離さなかったのである(Hom.Nb.10,2; 9,2; Hom.Jdt.7,2; 9,1; Hom.Jr.4,3; Hom.Ez.4,8; 6,1; Com.Jn.6,54; CC.8,44)

 オリゲネスの信仰は、非常に生き生きとした正統信仰の意識を伴っている。たとえば彼は、ルカによる福音いついての講話の一つで、次のように言っている。「私にとって、私の願いは、本当に教会に属する者であること、何らかの異端の主唱者の名ではなくキリストの名で呼ばれること、全世界で賛美されているこの名を持つことです。私の望みは、思いと行いにおいて、キリスト者であること、そしてキリスト者であると呼ばれることです」(Hom.Lc.16)と。この叫びの中では、愛と信仰が混ざり合っている。信仰の方正さを要求しているのは、オリゲネスの場合、キリストへの愛である。オリゲネスは、「人間が容易に身を清めることのできない」誤った教えの危険に対してしばしば警戒している。それらの誤った教えは、こう言ってよければ、厳密な意味での「荒廃をもたらす憎むべきもの」(Mt.24,15)である(Ser.Mt.43)。彼は、人々が油断せず祈りながら、それらの誤った教えから身を守るように求める(Ser.Mt.93; Hom.Nb.25,4; Hom.Jos.16,5; Com.Ct.3)。彼は、「聖書の規範」や「使徒よりの福音の規範」を引き合いに出すだけでは満足しない(Cf.Bardy, La règle de foi d’Origène, dans Recherches, IX, 1919, 175)。彼は絶えず、「教会の規則」(Com.Jn.13,16)、「教会の信仰」(DePrinc.1,6)、「教会の言葉」(Com.Jn,5,8)、「教会の宣教」(DePrinc.3,1,1)、「教会の伝統」(DePrinc.4,2,2)、「教会の教え」(Com.Ct.3)、「教会の考えと教え」(Com.Ps.5,9)に頼る。彼は、過越の子羊の骨の中に、何人も砕いてはならない「教会の聖なるお教え」の象徴を見ている。彼は、「諸教会の間に教義の食い違いがあること」を望まない(Com.Ps.21,15)。彼は、アダマンティオス、「鉄の男」である。教義の堅持、それは、彼がもっとも心している徳の一つであった(Com.Jn.20,27; Hom.Jos.5,2)。彼は、堅忍不抜の信仰と教義的な安定を強調する(Com.Ct.3)。アウグスティヌスに先立って、オリゲネスは、「心の貞潔」、すなわち知性の貞潔について語っている。そして信仰規則から外れた教えは、彼にとっては、悪しき品行よりも悪いかった(Ser.Mt.33; Hom.Lv.6,5)。「頭の罪を犯すこと、神殿外で聖なる肉を食することから身を守らねば」ならない、すなわち「聖なる教えについて、教会の信仰とは異なる考えを持つこと」から身を守らねばならないと、彼は言う。教会が私たちに教える霊の内で神の信仰を受け取らねばならず、異端者と同じように、自分勝手な教えを裏付けるのに必要なものを見出すもくてきで聖書を調べてはならない(Hom.Lv.4,5 et 8; 7,5; Hom.Jr.5,14. Cf.Irénée, Adv.Haer.1,1,3; 1,19,1)。彼らの思い上がりは、「レバノンの杉」を越えている(Com.Ps.37; Hom.Ps.5,5)。彼らの屁理屈は、策略に満ちている(Com.Ct.3)。彼らは、使徒たちに由来する伝承を所有していると言い張りはするが、実のところ彼らは誤謬の教師である(Hom.Ez.2,5; Ser.Mt.28)。信心深いキリスト者は偉大な伝承からいささかも逸れることはないが、彼らは、自分たちの虚言を裏づけるために、聖書や秘伝に訴えている(Fragm.1Co.)。真のキリストは「家の中でご自身を表された」というのに、彼らは、自分たちのでっち上げたキリストを「孤独の内に」我々に崇拝させようとしている(Ser.Mt.46; Com.Ps.63,4)。彼らは、聖書と言う金銀でできた器をゆがめて、自分たちの空想の産物をこしらえている(Hom.Ez.7,2)。彼らは、神のみ言葉を横取りし、邪悪な解釈によってそれをゆがめる泥棒であり姦通者である(Com.Rm.2,11)。彼らは、贋金造りである。なぜなら彼らは聖書の外で自分たちの教えを捏造しているからである(Com.Ps.36; Hom.Ps.3,11; Hom.Ez.7,3)。自分たちの告げていることを自分の腹から出す偽博士や偽預言者は、エゼキエルの語る嘘つきである(Hom.Ez.2,3-4)。しばしば彼らは、邪な計略を立てて、自分たちの偶像すなわち彼らの虚しい教えを甘美さと貞潔で飾り、それによって彼らの聞き手の耳に自分たちの意図を潜り込ませ、聞き手の人たちをより確実に迷わせようとする(Hom.Ez.7,3)。彼らは皆、イエスを自分たちの師と仰ぎ、彼と接吻をするが、彼らの口づけは、ユダの口づけである(Ser.Mt.100; Hom.Nb.9,1)

 彼は本当に、人々が描きだす霊的解釈家と同一人物なのだろうか。彼の二つの横顔が両立不可能であるとすれば、そのどちらを選ぶべきか。ティユモン(Tillemont)は、オリゲネスについて書くとき、「彼が教会に対して非常に謙虚で従順な精神を持ち、教会の教えと決定に敬意を払い、教会に一致に並ならぬこだわりを持っていた」と述べている。ドゥニ(Denis)は、オリゲネスが「その類まれな大胆さとは裏腹に、常に謙虚で、慎重であった」と言っている。教会は、キリストと同じように彼の心に深く染み込んでいた。彼は、よく教会を「母」と呼んでいる。そして彼は、キリスト者の内に、母なる教会の「子ら」を見ていた(Hom.Nb.13,2)。教会の教えの声は、彼にとって甘美であった。そして人は、霊的になればなるほど、その教会の顔の美しさをますますよく知るようになると確信していた。「真の信仰を表明する普遍の教会の声が甘美であり、これに対して真の教えではなく、神への冒涜と不正を高らかに語る異端者たちの顔は醜く不快なものであることを認めない人がいるだろうか。教会の顔は麗しく、異端者の顔は醜く汚い。顔の美しさを見分けることができる人は、すべてを吟味する術を知っている霊的な人である(Com.Ct.3)」。オリゲネスは、最大の不幸は「教会の神秘から取り除かれて」あることだと考えている(Sel.Jn.20,15)。ラテン語訳で伝わる『ヨシュア記講話』では、「この家、すなわち教会の外では誰も救われません。教会の扉の外に出た者は誰でも、自分の死の責任を自分自身で取ることになるでしょう」とまで言っている(Hom.Jos.7,6; Hom.Gn.2,3)。これらのことは、一般にオリゲネスのものとされている霊的解釈とうまく調和しない。しかしながら、これらのことは、オリゲネスの本当の霊的解釈にはとてもよく一致するのである。いやそれどころか、正統信仰への配慮、教会の信仰への愛着、「真の教義」への愛は、彼の霊的解釈の動機の一つをなしているのである。彼の目標の一つは、「聖なる教えに従った」聖書解釈によって「ファラオの口を閉ざすこと」である(Ser.Mt.1)。たとえば彼が、聖書の擬人神観に出会うとき、彼は、何よりも理性の名によってではなく、教会の信仰の名によって、それを解釈し、「それは教会の信仰とは異質のものである」と言う必要を感じる(Hom.Gn.3,2; Hom.Jr.20,1; DeOr.23)。同様に彼は次のように考えている。「神のみ言葉がまったく救いに役立たず、かつて起こった出来事を語っているだけで、我々とは関係ないと、一体誰が言い放つでしょうか。それは、不虔であり、普遍の信仰とは異質な発言です」と(Hom.Nb.27,2; Hom.Gn.6,1; Hom.Lv.14,2)。このような不虔は意見を抱くには、律法と福音の一致、モーセの神と私たちの主イエス・キリストの父である神との一致を否定しなければならないのである。聖書の「霊的意味」を探求し味わうこと、それが、聖書を普遍的に扱うこと(Verbum Dei catholice tractari)である。それが、イエスのおん手から聖書を受け取ることであり、イエスに聖書を読んでら雨ことなのである。そしてそれが、「教会の子」として振舞うことなのである(Hom.Nb.13,2; Hom.Jos.9,8, etc)。もしもキリスト者に何か根本的な義務があるとすれば、それは、使徒継承のイエス・キリストの天の教会の規則に愛着することである。ところで、この規則とは具体的に何であるか。エイレナイオスは、既にそのことを語っている。それは、聖書の霊的解釈である(DePrinc.4,2,2)

 もちろんこの規則を真に受けるなら災難を招くに違いない。「律法を霊的に理解する人たち」は、「それを肉的に理解する」人たちから、しばしば激しい攻撃を受けたのである(Hom.Gn.7,2)。聖書を肉的に理解する人たちは、公然たる異端者たち、不信仰者、ユダヤ人に限られればよいのだが、そうではなかった。ユダヤ教徒とほとんど変わらなかったエビオン派の人たちは、文字通りの意味にだけこだわっていた。「イエスを信じたユダヤ人たちは、自分たちの先祖から伝えられた律法を捨てなかった。彼らは、いつも律法を遵守したが、このことが、彼らに「貧困者」という名を与えた。この言葉は、刈られらが聖書を文字通りに受け取っていたからである。エビオンとは、ヘブライ語で貧困を意味する。そしてユダヤ人のうち、イエスをメシア(キリスト)と認めた人たちは、エビオン派と名づけられた」(CC.2,1)。また、幾人かの普遍の信仰を有するキリスト者も、「神のみ言葉を低級で不適切な仕方で受け取り、岩がユダヤ的な精神で理解していた」(Hom.Jdt.8,2)。オリゲネスは、自分の聴衆の中にもそのような者たちが少なからずいることを知っていた。これらの「文字の友」は、「地上の真理に勝る真理が存在し得ることを否定していた」。彼らは、オリゲネスの解釈を嘲笑した(Hom.Gn.13,3)。あるいは、憤った。彼らは、オリゲネスを落としいれようと企てたりもした。必要とあらば、彼らは、故なき誹謗を浴びせた。彼らは、オリゲネスが好きなように聖書を理解し、神の律法を捻じ曲げて解釈し、その意味を人間的な技巧で損ねているとして非難する(Com.Jn.19,3; Com.Ps.50)。彼らは、オリゲネスが聖書を「説明するよりも、謎解きをしている」(Hom.Ex.13,2)、修辞学の手法を借りて聖書を悪用している、「言葉を変造して」難解な寓意的解釈にのめり込んでいるとして非難する。「この謎解きの探求者は、我々に何を求めているのか」(Hom.Lv.16,2; 16,4)。「この屁理屈屋は、我々に何を語りに来たのか。彼の解釈は、馬鹿げており、意味がない。彼はいつも、朗読された聖書の意味から逃げて、自分の夢想をしゃべりまくるための手段を捜し求めている」(Hom.Lv.7,4; 9,2; 10,1; Hom.Nb.12,2; Hom.Ez.6,8; Hom.Lc.25)。オリゲネスに言わせれば、彼らは、族長たちと絶えず揉め事を起こし、族長たちが掘ったばかりの井戸に石や泥を投げ込んだかつてのペリシテ人であった(Hom.Gn.12,4)。オリゲネスは、彼らに対して、まとえた答えをもって反論している。彼は、「キリストを信じ聖書を認めながらも、その意味を受け入れようとしない人々に対して、教会の信仰のために戦っている」のを知っていた(Hom.Lv.14,2)。にもかかわらず、彼は自分の当惑を隠さない。彼は、貞潔を守ったスザンナの話を引き合いに出して、批判者たちにこう答えている。「数々の危険が四方から私を取り囲んでいます。もしも私があなた方と、(聖書の)文字に従うことに同意するなら、それは私にとって死を意味します。しかしもしも同意しないとしたら、私はあなた方の(非難を)交わすことができないでしょう」と。しかし彼はこう付け加えている。「しかし主のみ前に罪を犯すよりも、悪事を働かずにあなた方の手に落ちた方がましです」と(Hom.Lv.1,1)。もしも彼が、これらの「文字の友」に聞き従うならば、彼は、罪を犯すように思えてならなかった。彼にとってそれは、聖書の意味を自分たちの都合のいいように曲解する人たちに倣うことを意味した(Hom.Ez7,2)。「正当な教会教導職を行使することができ、自称グノーシスの支持者たちを反駁し、異端者たちのでっち上げと戦うことができる人たちにとっては」、教義を護り、異端者たちを反駁することは、「義務なのである。彼らに対しては、旧約聖書と新約聖書とが一貫していることをキリスト教信仰の使信として掲げねばならない」(Com.Jn.5,8)。また、教え導かねばならない大勢のキリスト者がいる。オリゲネスは、「聖書の身体的な歴史」をキリスト者に物語るだけで、そこから「霊的意味」を引き出そうとしない人たちの一人になりたくはなかった。オリゲネスにとって彼らは、知の鍵を持っていながら、聖書の中に入ろうとせず、そればかりか他の人たちがその中に入ることを全力で妨げているようなものであった(Ser.Mt.15)

 ともかく彼の聖書解釈法が、たとえ彼自身にとっても正統信仰の必須の条件に見えなかったとしても、彼は、それを教会の中で受け取られた伝統的な解釈法であると見なしていた。実際、全教会が声を一つにして、そのことを明言していた。聖書には、その文字通りの明示的な意味の他に、隠された意味が含まれている(DePrinc.Praef.8)。彼は自分が、「聖書の中に未来の出来事の比喩と予型を見た」一連の学者たちに倣っていることを自覚していた(Hom.Lv.15,3)。そればかりか、彼は、神ご自身の指示に従っていた。実際、文字にこだわっている人々が使徒(パウロ)を疑わしく思うのは、理由のないことではない(Hom.Ex.9,1)。使徒の書簡の教えは非常に明瞭であるにもかかわらず、聖書の文字にこだわっていれば、どうしてそれらの書簡を霊感を受けたものと見なすことができようか。そのような常軌の逸脱は、オリゲネスのやることではなかった。彼は言う。「私はキリスト者として、使徒の権威を尊重せねばならないあなた方キリスト者の皆さんにお話します。もしも誰かが高慢に膨れ上がり、使徒の言葉を蔑み侮るなら、使徒もその人を同じようにするでしょう。私としては、使徒たちに忠実になりたいと思います。私は、伝承が私たちにそうするように教えているとおりに聖書を受け取り理解するように努めています」(Hom.Lv.7,4)

 なお正統信仰や聖伝、および教会規則に対するオリゲネスの態度には、変遷があったのかということについて、一言いっておきたい。おそらく、彼の置かれた教会の状況に応じてある程度の態度の変遷があったと言えるだろう。彼が後半生に身を置いていたパレスチナの教会の状況は、幾つかの点で、それまでに身を置いていたアレクサンドリアの状況に比べてより厳格であった。たとえばオリゲネスは、パレスチナのカエサリアでは、非聖典書に対してより慎重な態度を取っている(J.Ruwet, Les apocryphes dans les oeuvres d’Origène, dans Biblica, XXV (1944), 158 et 316-317)

 

3.オリゲネスとパウロ

 オリゲネスは、絶えずこの使徒の権威に訴える。パウロは、オリゲネスにとって(キリストの)有能な証人である(Hom.Nb.36,6)。パウロは、「すばらしい証人であり、天の機密の保持者」である(Hom.Ct.2)。オリゲネスは、パウロを「使徒たちの中でもっとも偉大な者」(Hom.Nb.3,3)、「キリストの第一の模倣者」(Com.Mt.10,15)として賞賛する。また彼は、「単純な言葉によってかくも偉大なことを語るこの男の才能」に敬服する(CC.3,20; Com.Rm.5,2)。オリゲネスは、深い確信をもって自分が彼の弟子であると言明している。「この朗読を聞いて、文字通りにしか理解しようとしない人は、ユダヤ人の中に入った方がよいのです。・・・ しかしキリスト者でありたいと望み、パウロの弟子でありたいと願う人は、パウロの話を聞かなければなりません。パウロは、律法が霊的なものであると述べ、アブラハムやその妻子を取り上げて、それが象徴的な問題であることを言明しているのです」(Hom.Gn.6,1; 1,17)。彼は、何度もフィロンについて語り、彼を賞賛する。「フィロンは、彼がモーセの律法の解釈のために膨大な書物を書いた功績で、人々によって賞賛されるのに値しました」(Com.Mt.15,3; CC.4,51; 6,21; Com.Mt.17,18)。とはいえオリゲネスは、自分の解釈を正当化するためにフィロンに訴えたりすることは決してない。それどころか彼は、『諸原理について』の第4巻で、この解釈にあてた説明のなかで、一章全体をパウロに割いているのである(DePrinc.4,2,6; 2,4,2)。講話では、彼は倦むことなくパウロを引用する。彼は、ただパウロが歩んだ道をたどりたいだけなのである。オリゲネスは、「パウロが私に先行しなければ、そこまで上ることができません」(Hom.Nb.3,3)と言っている。『雅歌注解』では「指導者パウロ」とまで言っている(Com.Ct.2)。彼は、パウロに倣って、律法の様々な規定を斥け、キリストの内に神に由来する真の正義を見出している(Com.Ct.2)。彼は、自分の解釈が行き過ぎたものになるのを恐れた場合には、パウロの似たような考えを楯にとる(Com.Mt.12,2)。必用とあらば、こう指摘する。「この解釈は、私のものではありません。それは、使徒のものです」(Hom.Jr.14,16)と。オリゲネスは、『ヘブライ人への手紙』も含めて、霊的解釈に関わるパウロの主要な書簡に全面的に依拠している。彼は、ケルソスに反論して、霊的解釈が理性的なキリスト者たちの考案物ではないことを確証するために、『コリント人への第一の手紙』と『エフェソ人へ手紙』を引用する(CC.4,49 : 1Co.9,9 et 10,1-3; Ep.5,31-32)。『ガラテヤ人への手紙』は、まさに「(霊的)解釈」という言葉を彼に提供している(CC.4,44; Hom.Nb.11,1; Com.Ct.2; Com.Ps.118,18 etc)。使徒パウロの主著『ローマ人への手紙』についてはどうかと言うと、宗教がキリストによって「割礼から信仰に、文字から霊に、影から真理に、肉的な掟から霊的な掟に」移されたことをその書簡の全体が示しているのではないかと、オリゲネスは言う(Com.Rm.9,1)。彼はパウロの内に二つのものを見出している。一つは、彼の解釈の原理であり、もう一つはその幾つかの適用例である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。律法は霊的であり、そこには来るべき諸々の善の影が宿されている。イスラエルの人たちに起こった一切のことは、予型として生じたのであり、それらは何れも我々の教育のために書き留められたものである(1Co.10,11 : CC.4,43; Hom.Nb.7,1; Hom.Jos.3,1; 5,2; 13,1; 24,2; Hom.Jdt.2,3; Hom.R.1,9; Hom.Ez.12,2; Com.Ct.2; Com.Mt.11,12 etc)。これが解釈の原理である。パウロは、自分がこの原理を表明するとき、自分が何を言っているかよく弁えていた。たとえば彼は、「霊的な食べ物や霊的な飲み物について語るとき、一切の真理の教えが彼にそれが律法の制定者の意図であることを教えなければ、そのように語る勇気を持ち合わせなかっただろう」。同様に、彼が、新月祭や安息日などの祝祭について語るとき、彼がそれらの祝祭を「来るべき物の影」とよんだなら、それは疑いもなく、「いわゆる現実の偽学者」よりもそれらの祝祭をよく理解していたことを示しているのである(Hom.Gn.6,1; Hom.Ex.7,1; Hom.Lv.15,3; 16,1 etc)。また彼が、脱穀する牛の口を縛ることを禁じたモーセの律法を引用した後で彼が、「神は、牛たちのことで心を痛めているのか。むしろ神は私たちにこの掟を向けたのではないのか」と問うとき、彼は、躊躇うことなく次のように答えることができたことをよく弁えていたのである。「そうです、それは私たちのために書かれたのです」と(CC.2,3; cf.1Co.9,8; Dt.25,4)。パウロは、創世記が語らう「幻視の井戸」、すなわち聖書の深遠な意味をくみ出すところの聖書理解の井戸から決して離れなかった(Hom.Gn.11,3)。オリゲネスは言う。「私たちには、キリストの感覚があります」。そしてこの感覚が、パウロの旧約聖書理解を導き、その覆いを取り除かせ、完全に自由な眼で神秘の数々を観想させたのである。「私たちは、顔の覆いを取り除かれて、主の栄光を観想するのです」(Hom.Gn.1,17; Hom.Ex.12,1; Hom.4,2)

 疑いもなく、パウロの書簡は、この霊的解釈について限られた数の例しか含んでいない。しかしこれらの限られた例によって、士とは霊的解釈の方法のすべてを私たちに教えているのである。パウロの限られた言葉は、「狭い入り口を通して私たちに無辺の領野を開いてくれる」鍵のようなものである(DePrinc.4,2,3)。パウロは、みずから「細部に入る時間ではない」と言っているのではないか。それはあたかも彼が、「もっと後でそれをすべきだ」と遠まわしに言っているかのようである。彼は私たちに、「理解の規則を委ねた」のである(Hom.Lv.8,5)。したがって今度は私たちが、彼が私たちのために開いた道を進まねばならない。私たちが、彼の蒔いた「種を育て」ねばならない(Hom.Lv.8,5)。私たちが、彼の与えた諸原則を適用しなければならない。私たちが、彼の粗描した象徴を解明し尽くさねばならない(Hom.Ex.5,1; 9,1)。為すべきことは無限である。なぜならその原則には限界がないからである。オリゲネスは、『創世記講話』の中で次のように言っている。「聖なる使徒は、霊的理解の様々な機会を私たちに常に提供してくれる。わずかな個所でも――それは熱心な学究者には必要なもので――律法が霊的なものであることがあらゆる個所で認められねばならないことを示している」(Hom.Gn.11,1)。もしもアブラハムとその配偶者たちの歴史が「寓意」であるならば、この太祖に関する他の物語も同様でなければならない。「したがって私たちは、アブラハムについて言われた一切のことを霊的に解釈することによって、彼がかつて身体的に行ったことのすべてを霊的に行わなければならない・・・。彼の歴史のすべてを探求し、彼について物語られたすべての事柄が寓意であることを理解して、私たちはそれらの事柄を霊において成し遂げるように努力しなければならない」(Com.Jn.XX,10)。イスラエルの人たちに起こった一切のことが予型として起こったことだとすれば、使徒がたまたまコリントの人たちに向けて説明した歴史的事例に視野を限る理由はまったくない。一切は、「私たちの教育のために」、霊的に転調されねばならない。たとえば、紅海の横断について書かれた記事に従って、どうしてヨルダン川の横断を解釈できないのだろうか(Com.Jn.XX,36)。これらの事柄は、たしかに、肉の内に起こった。それは疑いない(Hom.Nb.11,1)。したがってそれらは、先ず歴史的に検討されねばならない。しかしそれらはまた寓意であると私たちに言われているのであるから、もしも私たちが「キリストの敵たちに手を貸す」ことを望まず、キリスト者として、そしてパウロの弟子としてありたいと望むなら、私たちは、それらを霊に従って理解することをためらってはならない(Hom.Ex.10,2; Hom.Gn.7,2; CC.4,49)

 オリゲネスのこの確信は、たんなる思い込みではなかった。それには根拠があることを我々は認めねばならない。フレッペル(Freppel)が言うように、彼の論法は、異論の余地がないのである。ティユモン(Tillemont)は次のように述べている。「オリゲネスは、そのすべての著作において、聖書のすべての個所を、文字にこだわることなしに、寓意によって説明しているとして非難される。もしも彼が、聖書に報告されているすべての事実が決して存在しなかったと主張したとすれば、彼はたしかに非難を免れない。しかしもしも彼が、これらの事実を真実と見なしつつ、それらをイエス・キリストと教会に関係づけることによって、より霊的でより高尚な意味をそこに見出そうと努めているのであれば、彼は、パウロが自らの言葉と模範によって教えたこと、アウグスティヌスや大グレゴリウス、あるいはその他ほとんどすべての教父たちがパウロに倣って行おうと努めていたことをしたに過ぎない」。パウロは、オリゲネスにとって、保証人であるばかりでなく、彼の主要な典拠であった。しかし他の様々の要因に影響されて、オリゲネスの寓意的解釈は、使徒パウロが予見してもみなかったし、全面的に賛同しているわけでもない方向に展開していった。オリゲネスの置かれていた状況は、パウロのそれとは非常に異なるのである。律法は霊的であるという考えは、厳格に体系化され、最大限に活かされた。「それらはすべて、予型として彼らに起こったのです」という節に与えたオリゲネスの解釈には、異論の余地がある。疑わしい。ただし、オリゲネスがこの節の最初の解釈者でなかったことを指摘しておこう。なぜならその節の解釈は、すでにテルトゥリアヌスやヒッポリュトスによっても与えられていたからであり(Terullien, De carnis resurresctioe, n.38; Hippolyte, Commentaire sur Daniel.1,16)、ヨハネ・クリュソストモスやテオドレトス、ヒラリウスやアウグスティヌスなどの教父たちが示すように、オリゲネス以後の長い伝統も、この節を彼と同じく理解していたからである。しかしながらオリゲネスの解釈法は、本質的な事実を損ねなかった。彼は、パウロの書簡を徹底的に活用しながらも、それらの書簡の精神にほとんど常に忠実に留まっているからである(Cf.eg.Hom.Ex.5,5)。オリゲネスは、パウロの教えを、彼が直面する状況に応じて適応しただけだった。したがって彼の解釈の結果が、概して、パウロの教えと一致することは驚くにあたらない。リーツマン(Lietzmann)が書いているように、オリゲネスは、「自分の考えと聖書との間に存在する一致を当然のごとくに自覚しており、自分の教えの成分をパウロの書簡や福音書に見出すために、いかなる寓意的解釈も必要としなかったのである」(Hist.de l’Eglise ancienne, II,323)

 これはまた、彼がごく幼少の頃から本当に「聖書に生きていた」ことを示している。彼の思想の他の源泉がどのようなものであれ、彼は本当に聖書から、自分の神学の精髄を引き出したのである。J.ダニエルは、「オリゲネスの霊的神学が、キリスト教人々の中で大きな反響を得ているのは、彼の神学が何よりも聖書に基づいているからだ」と言っている(Origène, p288)。彼は、彼の考えでは聖書にないことは何も提示しないように大いに心がけた。彼が肝に銘じた鉄則は、たとえ極めて個人的な解釈であっても、教会の解釈の規範に常に一致していることであった。ある断片では、「私たちは、教会の第一級の伝承から逸脱すべきではないし、神の教会の継承によって私たちに伝えられたこと以外を信じるべきではない」と言われている(Ser.Mt.46)。オリゲネスは、モーセや預言者ないしは福音の朗読において「キリストの意味」に取って代わる「固有の意味」に対して衝動的な不信を抱いている。したがって、この点についてJ.ダニエルが行った考察は、的を外しているように思われる。彼は言う。「寓意的解釈は、人々が敬いつづけ、一切の真理の受託者と見なしつづける文書を前にした思想の自由の一形態である。この自由の旗印の下に、人々は、普遍不易と称される諸宗教の中で革新的なことを行うのであり、より古い諸宗教から新たな諸宗教が生まれ発達するのである」。しかしオリゲネスの場合には、個人の思想の自由が問題になっているのではない。ひとえにキリスト教思想の自由、ユダヤ教に対するキリスト教生活の自由が問題になっているのである。そして彼の方法は、解放の道具でもなかった。解放は、キリストの業であった。したがって霊的解釈は――その時代に特有の技法や考えがかなり入っているとはいえ――、このキリストの解放の業の回顧的な正当化でしかなかった。オリゲネスは、この霊的解釈によって、キリスト教の伝統に対する自由を何とか捻出しようとしたのではない。彼は、彼自身のため、そして彼のすべての兄弟のために、キリスト者であることの自由を基礎づけようとしたのである。霊的解釈は、オリゲネスにおいて渺茫無辺に開花した。それにもかかわらず彼の霊的解釈は、同じ性格を保っていた。それは決して秘教的にならなかった。いわんやそれは、無鉄砲な意見や合理主義的な教義を護るための方法でもない。彼は、自分の解釈を万人に知らしめた。しかしもしも彼が何らかの留保を行っているとすれば、それは神の教育を真似てのことなのであった。なぜなら「秘義の配分者は、聴衆に害を与えることなく新しい考えを導入する時を選ぶべき」だからである(Com.Jn.20,2)。『民数記講話』ではこんなことが言われている。「神的知恵の秘義の数々を不用意に明らかにすることは、殺人を犯すに等しい」と(Hom.Nb.4,3)。彼の霊的解釈の手法は、極めて賢明であり臨機応変である。またいかなる秘伝にも基づいていない。彼のこのような霊的解釈は、特に洗練された人々を相手にしているわけではなく、謙虚な人々を配慮していた。彼は言う。「聖書の教えを余り身に付けていない魂がもしもこの話を聞くなら、その魂は弱められ、カトリックの信仰から離れる危険に陥るかもしれない」と(Hom.Jos.10,2)。カディウ(Cadiou)は次のように言っている。「信者の人たちを前にして語られた講話は、少数の弟子たちを前にして発表された注解と同じく、寓意的解釈に富んでいる」と。彼の「大胆な」意見は――その数は少ない――いかなる悪意もなく、単純に提案されたもので、そこにはいかなる教条主義も見られない。彼は、人々が聖書を入念に研究するように望めば望むほど、行き過ぎた人間的な好奇心や批判的な態度を斥ける(Hom.Jos.1,4; Hom.Ex.4,2)。彼は、貪婪な魂が好きではなかった。彼は自分の弟子たちに言っている。「何よりも、信仰の原理を護り、神に喜ばれることを念頭において、聖書を読むことに専念してください。聖書を理解するのにもっとも必要なことは、祈ることです」(Lettre à Grégoire, 3)。「浅はかな思い上がりによって、私たちが聖書から引き出そうとしている知識が罪に変わることのないように気を付けましょう」(Hom.Lv.5,9)

ここでも「教会の教師」(Hom.Gn.5,1)であるパウロは、オリゲネスの師であり、分別と慎重さの教師なのである。もちろんオリゲネスは、必ずしも常に文字通りにパウロに従うわけではない。しかし彼は常に、パウロの深い霊感に合わせようと努めている。飽くなき好奇心をもって聖書のすべてを詳細に探求し、一切を明らかにしようとする人々に対して、オリゲネスは、一緒に使徒の有名な叫びを聞こうと提案している。「おお、何という深み!」。これは、絶えず姿を現す測りがたい豊かさを前にした茫然自失の叫びである。したがって聖書の中には、常に探求すべきものがあるが、我々は、聖書の探求を続けつつ、聖書の豊かに圧倒されていることを前もって認めなければならない。

この点でも多くのオリゲネス研究者の分析は誤解に満ちている。彼らの誤解の原因のひとつは、キリスト教的グノーシスの誤った解釈であった。彼らは、オリゲネスに見られるグノーシスを、異端のグノーシス派の観点から見ていた。ところがオリゲネスのグノーシスは、パウロのグノーシスなのである。実際、オリゲネスを導いていた霊は、聖パウロも語っている「信仰の霊」であった(2Co.4,13)。オリゲネスの注解書の到る所に見出される霊的意味は、何らかの懐疑的精神や合理主義的精神の内に起源をもつものでもなければ、伝統的な信仰の制約を逃れたいという欲求の内に起源ももつものでもなく、神や聴衆を前にして純真欄満に流露する奥深い信仰の展開、聖書の神性への信仰の横溢なのである。これこそ彼の解釈を包み込むオーラであり、人を捕らえて放さない彼の解釈の魅力なのである。聖書は、彼の喜びであり、慰め、心の渇きを癒す水、神を探求するための巨大な空間であった。

もしも苦悩が我々に襲いかかり、この世の不安が我々を締めつけ、体の必要が我々に重くのしかかってきたら、我々は、この世とは比べ物にならないくらい広大な神の知恵と知識を探求しよう。私は、聖書の広大無辺な平原に立ち返ることにしよう。私は、聖書の非常に広大な空間を駆け回ることにしよう。もしも私が迫害を受け、人々の前で私のキリストを告白するなら、キリストも天におれられるご自分の父の前で私を告白してくださることを確信している。飢えに会っても、私は困らない。なぜなら私は、天から来る生命のパンを持っているからである。このパンは決して欠けることがなく、完全で永遠である(Com.Rm.7,11)

 

4.知恵と十字架

オリゲネスが汲み出した神的知識の宝物に比べれば、哲学者たちの人間的知恵はどれほど生彩に欠けていることか(Com.Ct.1)。オリゲネスの作品には、クレメンスがその最初期の『ストローマテイス』で哲学賛美のために述べた議論に匹敵するものが見当たらない(Strom.1,19-20)。しかしこのことは、教会の教えの内部での世俗の学問を利用することをオリゲネスが認めていないことを意味しない。エジプト人たちからの分捕り品は、素晴らしい獲得物である。この言葉は、アルキヌスやヨアネス・スコトゥス、ペトルス・ダミアヌス、グレゴリウス九世に当てはまるものだが、オリゲネスにも当てはまる。ただしオリゲネスの場合には、行き過ぎた主知主義は見られない。この分捕り品は、聖櫃の建築のために聖なる地に一度しか運ばれなかった。世俗の学問に専念するためにエジプトに下った者は、大きな危険を冒すことになる。エジプトに長居し、哲学の誘惑に身を任せたままであれば、信仰を危うくするか、兄弟の交わりを損なうだけであろう。そしてこの滅びを免れる者はまれである(Ad Greg.2)

しかしこれらの世俗の学問には、予備学的な役割がある。もしも誰かが真の教養を受けることができるとすれば、その人は「キリスト教への手引きに役立つ適切な認識をギリシア哲学から借りること」が望ましい。たとえば、「幾何学や天文学の諸概念は、聖なる書物の解説のために有益である」(Ad Greg.1)。同様に護教家は、内縁関係を結んだり、異郷の女と結婚したりすることを恐れなかった太祖たちを、後の時代の操正しい子孫の観点に立って、見習うべきである。また護教家たちは、「文学、文法、幾何学、算術、問答法」を役立てるべきである。「そしてもしもこれらの学問と手を結ぶことが、私たちの考えを説明し、討論し、反対者を論駁するのに貢献するのであれば、またもしも我々がこのようにすることによって、幾人かでも回心させ信仰を抱かせることができるとすれば、あるいは敵対者たちに固有な方法の数々を上手く使いこなすことによって、彼らを説得し、キリストの真の哲学と真の敬神とを受け入れさせることができるなら、私たちは、いわば異教の女であり内縁の妻である問答法や修辞学から子どもを得たことになるでしょう」(Hom.Gn.11,2)。またモーセが、異教の祭司である舅のヨトルの忠告を聞いたのと同じように、「もしも私たちが異教人の口に何らかの賢明な言葉を見出すなら、私たちはその言葉を異教人の言葉だとしてすぐに軽視しないようにしましょう。なぜなら私たちが神から律法を受け取っていることを口実にして傲慢に膨れ上がり、異教の賢者の言葉を軽蔑することは、望ましいことではないからです。むしろ私たちは使徒の言葉に従って、一切を吟味して善きものを保持しなければなりません」(Hom.Ex.11,6)。いずれにしてもこの代の諸々の教えを利用するには、必ずそれらを清め、不毛で死んだものはすべて取り除かなければならない。『レビ記講話』(7,6)では次のように言われている。「私たちが、私たちの敵の内に、みごとで理性にかなった仕方で語られたものを見出した場合、つまり私たちが彼らのもとで知恵と知識に満ちた仕方で言われたことを呼んだ場合には、それらを清めなければなりません。そして彼らのもとにある知識から、無益で死んだものを取り除き切り捨てなければなりません」。実際、すべての知識が上から、すなわち神に由来するとしても、人間や悪霊の悪意によって多かれ少なかれ損なわれているのである(Hom.Nb.18,3)。疑いもなく、「ギリシアの哲学」は、その数々の虚構を並んで、真理の無視すべからざる要素を含んでいる。聖パウロも、「この世の知恵と言葉の中に何らかの偉大さが明白に示されていることを見て取っていた」。しかしそれは、結局のところ、それらの知恵と言葉が虚しくてまことしなやかなものでしかないと判断するためであった(CC.praef.5)。ギリシア人のであれ、夷狄のであれ、哲学の教えるところをすべて検討してみれば、キリストの教えと一致しない哲学は、妄想であることがわかるだろう(Fragm.1Co.)。したがってこれらの異質な教えは、常に意のままに扱われねばならない(Com.Mt.17,13)。しかしオリゲネスは、これが難しいことを知っている。「私の経験から判断して、エジプトから有益な物品を奪い、その次にエジプトを脱出して、神の祭儀のためにこれらの物品を配列することができた人は非常に少ないということができます」(Ad Greg.2)。哲学に付け込まれないようにするために、我々は、かつてのイサクとアビメレクのように、哲学と信仰が、ある時には仲がよく、ある時には仲が悪いことを常に念頭に置き、信仰と一致することを確かめた後でなければ、哲学を受け入れてはならないと常に肝に銘じておかなければならない(Hom.Gn.14,3)

オリゲネスは、しばしば、哲学の危険に対して警戒するように呼びかけている。彼は、「この世の君の知恵」をあっさりと断罪する。それは、偽りの知識であるばかりでなく(Ser.Mt.35)、根本的に邪悪なのである。それは、何よりも、魔術と占い、「エジプト人の秘儀、秘密の哲学、カルデア人とインド人の占星術、神性についてのギリシア人の無数の思いなし」(DePrinc.3,3,1-3)に基づいている。哲学とのいかなる妥協も不可能である。哲学は、主に対して陰謀を企て、主を十字架につけた人々の知恵である(Comm.1Co)。知識や世俗の学芸、「詩学、文法、幾何学、修辞学、音楽、そしておそらく医学」に成り立つ「この世の知恵」についてはどうかといえば、それもまた現状では、危険なものである。それは、根本的に悪いものというわけではないが、悪霊の働きの一つの手段になっている(Hom.Nb.18,3; Hom.Ex.4,9; Hom.Jr.8,8-9)。そしてその精神は、いまとなっては、キリストに反している。それは、神によって霧消されるべき異質な知恵であり(Hom.Is.8,2)、「罪人が持つ富」(Ps.36, h.3,6)である。この世の霊が神の霊に対立するように、「この世の知恵」は、神の知恵に対立している(Com.Ct.2; Com.Jn.19,9; Hom.Is.3,1)。この世の知恵の支持者たちは、問答法の術策によって福音を転覆しようとしている(Com.Ct.3)。オリゲネスはこの知恵を、使徒によって断罪された偶像礼拝、イエズスがその弟子たちに告発した「ファリサイ派のパン種(Hom.Nb.20,3; Hom.Lv.5,7)、アハブがヨシュアの命令に反して盗んだ金塊、その輝かしい美しさによって全会衆を誘惑し汚したエリコにたとえている(Hom.Jos.7,7. Cf.Hom.Jdt.2,3)。オリゲネスは、この世の知恵を、ちょうどエバが蛇の奸計によって誘惑されたように、詭弁によって信仰を駄目にさせ(Hom.Lv.12,5)、ソロモンが自分の女たちによって欺かれたように、様々な主張によって賢者を欺くとして非難する(Hom.Nb.20,3)。彼は、哲学に従う者は、常に不安と懐疑の中にあり、ちょうどアビメレクの妻やその下女たちがそうであるのと同様に、神の助けがなければ実を結ばないことに気づいていた(Com.Ct.2; Hom.Gn.6,3; 13,1.)。「邪悪な教えの数々に手を出してはいけません。人を惑わす哲学の料理を望んではなりません。それはあなたを真理からそらせるものです」(Hom.Lv.10,2)。もちろんオリゲネスは、「真理の充全な認識を得ている人々」がこの哲学の料理を利用することを拒んではいない。彼の言葉づかいと方法は、一般のキリスト教大衆に対するのと、熱心で教養のある弟子たちの小集団に対するのとでは、異なるのである。このことは極めて当たり前のことで、経験豊かな教育者ならだれでも、それに首肯するだろう。実際、危険と必要は、どちらの立場に立つかによって異なってくるのである。一方にとっては有益なものも、他方にとっては有害なものとなる。したがって「キリストについての教育をわずかしか受けておらず」、罠にはめられるかもしれない「人々を傷つけない」ように絶えず心を配らなければならない(Hom.Nb.20,3)

オリゲネスの根本的な狙いは、「ギリシアの雄弁の高慢な主張を低めて」、「霊感を受けた聖書のみ言葉の謙虚さと質素さ」に人々の心を向けることであった(Hom.Gn.10,2)。詩人たちは、エジプトを襲った第二の災いの蛙のようなものである。なぜなら蛙が無益でうるさい音しか出さないように、ギリシアの詩人たちは、あらゆる種類の誤謬をその美辞麗句の下に世界に導入することにしか貢献していないのである。問答法となると、オリゲネスにとってはもっと悪いもの映った。それは、蚊のようなものである。「問答法は、霊妙な針で魂を刺し、巧みな手さばきでそれを絡め取る。そしてだまされた魂は、誤謬の原因が何であるかを理解できなくなる」(Hom.Ex.4,6)。キリスト者と「不敬虔な人たちの学説や哲学者たちの論法」は、戦いのもとに理解されている。「この世の論客」は、その「欺瞞の町」中で、真理の鎚によって撃破されねばならない。そしてキリスト者は、神的な律法を粘り強く観想し、それに心を合わせることに専念することによって、この聖戦に参加しなければならない(Hom.Jos.7,1; 18,3)。キリスト者が完成の域に近づくほど、すなわち彼が可能な限り世の完成に近づくほど、キリスト者は、時の終わりに差し掛かった全教会に対してますます凶暴な振る舞いをする異端者たちを斥けるのと同じように、哲学からの諸々の攻撃を撃退しなければならない(Ser.Mt.35)。霊的な意味でのエジプトは、約束の地から遠く隔たった魂の流謫の地であるばかりでなく、ギリシア哲学でもある。そしてエジプトの水は、その「一貫性のない不道徳な学説」である。しかしギリシア哲学の信奉者たちが詭弁の限りを尽くそうとも、「イエス・キリストの内にある神の愛から我々を切り離す」ことはできない(Hom.Jdt.2,3)。ギリシア人であれ、夷狄であれ、哲学する者たちは、イエスを滅ぼそうとする。しかし彼らは、逆に、イエスの民によって、イエスの言葉を絶えず聞き、彼の教えに組するますます多くの人々によって打ち負かされるのである(Com.Mt.17,14; Com.Ct.2)  

したがってオリゲネスは、自分がよく知っていた哲学に対して著しい嫌悪感を感を抱いていたと言っても過言ではないだろう。確かに雄弁術に関してはそうだと言わなければならない(Hom.Jdt.3,2)。オリゲネスは常にキリストへの堅固で均整の取れた強い信仰と確信を持っていたのである。したがって彼がキリスト教を、完全者のために、一種の哲学的な知恵に変えてしまったとか、キリストの十字架を初心者に押し付けて、キリスト教をプラトン主義に変えてしまったと言うことは決してできない。このような判断は、オリゲネスの思想を忠実に描写するものではない。いわんやオリゲネスによれば、一般的なキリスト者には十字架の業が有効であるが、知的なキリスト者には高度な教えが有効であったなどと判断することは甚だしい誤りである。確かにオリゲネスは、魂の啓発者・教育者としての受肉したみ言葉の役割を強調するが、それは、キリストを神学者に似通わせるどころか対置させるのである。確かに彼は、パウロにならって一度ならずも単純な信仰を超える知恵について語り、完全者は救い主の受難と死を物語る文字を超えるべきであると説く。しかしこの知恵は、オリゲネスにとって、恵みであり、「もっとも単純な異議を唱える」(CC.7,44)高慢で哀れな知識とはまったく異なるものなのである。そしてこの真の知恵は、かつてはイザヤやエレミアなどの人物に与えられたものであるが、今日では、霊によって生まれた人たちによって共有されているのである(Fragm.Co.IX)。「信仰の真理の内に留まる者は、・・・真理を認識し、真理によって自由にされる。・・・我々は、信仰によって理解するのである」(Fragm.Mt.16,9)。単純な信仰ないしは単純な文字への信仰は、「人間的な判断ではより劣った人たちの」(Com.Jn.19,8-9)信仰と同じではない。イエスの福音宣教は、夷狄にもギリシア人にも、無学者にも学者にも向けられている(DePrinc.4,1.2; Com.Jn.1,8;1,10;1,12)。イエスの真の弟子は、単純な人たちを見下さない(CC.praef.6; 6,1-2,6,13-14; 7,44; 7,49)。賢い信者であると思われている人は、この世が馬鹿者扱いにしたが神によって選ばれた人を蔑むなら、あのパリサイ派の人と同じように、忠実な信仰からほど遠いところにいると言える(Ser.Mt.9 et 61.)

オリゲネスは、知恵には二つの種類があるという。「我々がこの世の知恵と呼んでいる人間的な知恵があり、これ神の目には愚かである。他方、神の知恵というものがあり、神はこれを、受け入れることができる人に恵みを通して与えるのである。ギリシア人の教養を得ていない人たちを奴隷とか無知な者と呼んでいるが、命のない偶像を崇拝することを恥としない人々にはそのように言わない」(CC.6,13)。もちろんオリゲネスが第一コリントの「私はあなた方の間では十字架に付けられたキリストしか知るつもりはない」という言葉に対していつも与えている解釈は、オリゲネスが、十字架に付けられたキリストは完全者にとって意味がないと考えているといった印象を読者や研究者に与えてきた。確かにオリゲネスは、パウロが語る十字架に付けられたキリストの知において、より劣った知、すなわちキリストのペルソナと業を知らない無知しか見ていない。パウロが十字架の神秘に関して余すところなくすべてを宣べ伝えようとしていたのに、オリゲネスは、その神秘の開示とはかけ離れた磔刑という外面的な事実の宣教だけが問題になっていると考えている。十字架に付けられたキリストしか知らない人々は、「受肉したみ言葉がみ言葉のすべてであると考えて」(Com.Jn.2,3)、その栄光や神性を何も知らないのである。したがって彼らは、十字架の意味を理解することができず、人類の贖いの神秘を知ることもない。彼らは、真のイエスの軍隊とともにヨルダン川を渡って約束の地の中に入り、そこで最後の戦いをする段階に至っていない(Hom.Nb.26,7)。オリゲネスは、パウロの上記の言葉に対して、非常に狭い理解しか示していない。オリゲネスにとって、この初歩的な宣教の域を一歩も出ないキリスト者は、真の意味で「基本的な教理教育」を受けているとはいえない。この十字架につけられたキリストの宣教は、予備的なものでしかない(Com.Mt.12,30)。彼らは、弱い精神の持ち主であるとは言えないが、この世の知者と同じようなものであり、依然として肉に従う人間である。彼らは、まだ肉に従ってしかキリストを認識しない。そしてもしもその次元に留まるなら、彼らは、使徒パウロの非難に値する。オリゲネスによれば、パウロは、彼らの間では十字架に付けられたキリスト以外には知ろうとは望まなかったわけだが、それは彼らがそれ以上のことを受け入れる心の準備ができていないからである。そしてオリゲネスは、この世の知恵ではなく神の知恵、すなわち「完全者の間で宣べ伝える、隠された神秘的な知恵」について語る(Com.Rm.1,13; 2,14)。この知恵は最初の初歩的な知を排除するものではなく、それを補完し変容する。この神の知恵はより深遠なものであるが、初歩の知を含んでいる。それは、パウロが言う意味での「品行において完全に浄化されるまでには至っていない」乳児の乳に代わる固い肉であるが(CC.3,52-53)、キリスト者をその知力によって二つのカテゴリーに分けているのではない。大衆的な宣教と、知識人のためのより洗練された別の次元の教えが存在するのではない。オリゲネスにとってキリスト教は、「霊的であると同時に受肉したもの」なのである。そしてもしもある場合に、単に「肉的な福音」だけを宣べ伝えなければならないとしても、それは常に、「独り子の栄光」を「僕の姿」において示そうとする願いを伴っている。もしも我々が人々の魂の中に「天の知恵」の嗜好を惹起することができたら、我々は、「人々を受肉の次元から導き出して、元に神とともにあった方の許へ彼らを向かわしめる知を彼らに伝える」ことができるだろう(Com.Jn.1,7)

それにもかかわらず十字架につけられたキリストの宣教は、本質的なものであることに変わりはない。なぜなら「受難のオイコノミア」(Ser.Mt.47 et 50.)は、絶対不可欠なものである(Com.Jn.32,3)。オリゲネスによれば、十字架の木がなければ、重い皮膚病は癒しがたい。キリストの血によって教会に集うすべての人たちは、分け隔てなく救われたのである(Hom.Jos.6,4; De Mart.30)。キリストの死は命の木であり(Com.Rm.5,9; Ser.Mt.95)、小麦が踏みつけられることによってたくましく育つように、十字架の死から一切の豊かさが生まれる(Hom.Jr.10,3)。教会の栄光と豊かさはキリストの受難の内にある(Com.Ct.3)。オリゲネスにとって回心することは、キリストの十字架に向かうことである。完全者の知恵は、パウロが我々に開示してくれた十字架の奥深い神秘を観想し(CC.2,16; Hom.Gn.2,5)、力を尽くしてこの世の知恵を斥け、この世の知恵において十字架につけられることにある(Hom.Ex.4,6; Hom.Lv.8,10)。実際、キリストの十字架が我々に示す救いの狭い道と、この世の知恵が職業とする哲学が我々に関わらせようとする広く安易な道との間には、全面的な対立がある(Hom.Jdt.5,5)。み言葉との対面(対面見神)は、この世に対して死に、大きな艱難を経なければ得ることはできない(Ser.Mt.39)。み言葉との対面は、どれほど崇高なものであろうとも、十字架につけられたイエスを見失わせることはなく(Com.Jn.2,8)、十字架を担ってキリストに従うことを免除させる知恵はない(Mart.12)

 

・・・以下、中断・・・