15 ファンジョーにおいて三度も火に投ぜられた書籍について

 

パミエー、ラバー、モンレアールおよびファンジョーにおいて、たびたびある目的のために選出された裁判官たちによって主宰された討論会が開かれた。その討論会には、信仰についての討論に参加しようと望んでいた貴人や軍人、それに婦人や平民たちまでが指示された日に集まった。

ファンジョーで、多くの信者と異端者の出席した有名な討論がなされたのはその頃であった。多数のカトリック教徒がすでに、信仰を認める理由およびその権威についての幾多の覚え書きを書いていた。全部を比較して見て、意見が一致してドミニコの書いたものを選んだ。

異端者も彼らの側としてはわれらに対する中傷文によってそれに対抗することに決めた。そしてみなの賛同のもとに、どちらが正当な理由を申し立てるか、どららの信仰が確かなものであるか、ということを決定する裁判官を選出した。長い討論が行なわれたが、裁判官は決定を下だすことができず、二冊の書籍を火に投ずることにした。もし、二冊のうちのどちらかが燃えなければ「それにこそ真実なる教義の含まれていることは疑いないであろう。大きな火がたかれた。異端者のものは直ちに炎の餌となった。それに反してもう一冊、神の人ドミニコの書いたものは無傷であったばかりでなく、みんなの目の前で炎にはねつけられて遠くに飛ばされたのである。二度・三度と火中に投げ入れられたが、その度にはねつけられた。いずれが真実の信仰であり、その本の作者がいかに聖なる人物であるかということが明らかに示された。神の僕・司教ディエゴに関しては、彼の徳の輝きが有名であったから、彼をとりまいている人たちはみな、異端者さえも、彼を敬愛した。異端者は、彼のような人物が永遠の生命のために予定されていないのは不思議なことだ、多分自分たらの教義を覚えるためにこの地に来たのであろう、といっていたものである。