22 彼に与えられた財産
ドミニコに特別な願いを寄せていたモンフォール伯は、家族の同意を得た後、彼および宣教の仕事を助けていた人びとに、カッセネニーの荘園を与えた。
ドミニコは、その上ファンジョーの教会やそのほか幾つかの教会を所有していた。これらによって、彼自身と配下の人びとの糧を賄うことができた。
糧を得た後に余まった収益はすべてプルイユの修道院の修道女に与えた。
ドミニコ会はその頃まだ設立されてはいなかった。ただ創立しようと努力されてはいたのであって、この間に神の人ドミニコは全力を挙げて宣教に身を捧げていた。寄進を受けそれを所有することを禁じる後の会則はまだ効力を発してはいなかった。
オスマの司教の死後、ラテラノ公会議が開催されるまで、聖人はほとんどひとりでいた。