25 総長ドミニコがトゥールーズの司教の供をして教皇に拝謁したこと

兄弟ドミニコはラテラノ公会議に出席する司教に動向した。教皇イノセントに、兄弟ドミニコと彼の伴侶のためにドミニコ修道会を認可してくれるよう、また修道士たちを司教および伯爵より譲渡されたものの受益者として認めてくれるよう誓願するためであった。

ローマ教皇はその願いを聞いた後、兄弟ドミニコに、修道士のもとに戻って討議をし一同の賛同をもってすでに認められている会則を提出するように命じ、司教には彼らに教会をひとつ与えることを勧告した。その後で、全認可を受けるために教皇のもとに再び来るようにといった。

公会議が催された後に帰り、教皇の意向を修道士たちに伝えると、将来のドミニコ会士となる人びとは高貴なる宜教者聖アウグスティヌスの会則を選び、それに食糧・断食・寝台および毛布の使用について厳しい制限を付け加えた。

俗世の物事に気を配ることによって、宜教の務めに支障をきたすことがないよう、それ以上の財産を所有せぬことに決められた。しかし収入は残しておく方が良いという考えであった。

トゥールーズの司教は配下の司教座聖堂参事会員の同意のもとに、三つの教区を譲った。ひとつはトゥールーズ市中に、ひとつはパミエーの町中に、もうひとつはソレーズとピ・ロレンの間のサンタ・マリア・デ・レスキューにあった。その各々に修道院が置かれる予定であった。