31 パリに送られた最初の七人の修道士

兄弟ベルトゥランとともに、大修道院長に選ばれた兄弟マテオがパリに送られた。彼は後にプロバンスの管区長になった人物で、何度か旅の供をした聖ドミニコの範たる生活をいろいろな面でまねた。神聖さと、自分自身には仮借のない厳しさを持った肉に対する力強い禁欲者であった。これらの人が修道会を設立するため教皇に勅書をたずさえて、パリへ派遣されたのである。他にふたりの修道士が大学で学ぶために同行した。兄弟ファシ・デ・ナバーラと兄弟ロレンソ・デ・イングラテーラで、後者には、パリ市中に入る前に創立のことや修道の場所および後になって実現した召出しの増加などの啓示がなされた。

このグループとは別に、オデリュとよばれるノルマンデイー人の改宗した修道士を伴って、聖ドミニコの母の弟である兄弟マメース、それにスペイン人の兄弟ミゲールがパリに向かった。

これらの人は皆パリに向けられたのであるが、後の三人は旅を急ぎ、伴侶が着く三週間前の九月十二日(注・一二一七年)に町に人った。聖マリア病院のわき、パリ司教館の正面に一軒の家を借りた。