41 レジナルド神父の死の前に私の見た夢

私は神父の死の前に、すき通った泉が渇れ、その代わりに他のふたつの湧き水がふき出すという夢を見たように思った。私は自分の無力をよく知っているので、この夢が真実を告げるものかどうか解釈をする気にはなれない。しかしひとつ確かなことは、彼がパリの修道院で誓願を受け容れたのはふたりのみで、そのひとりは私であり、もうひとりは後にコローニャの修院長になった兄弟エンリーケである。彼は、私の信ずるところによれば、他のいかなる人よりも特別にキリストによって愛された人で、栄光と恩寵の器なる人物であった。私は、彼より秀れた者をこの世では見たことがない。若年にして成熟し、主の憩いなるものに早く入って行ったからには、いくつの徳の所有者であったかここで思い出すのもむだではない。