42 どこでどのように兄弟エンリケが教育を受けたか

 

ユトレヒトの教会の司教座聖堂参事会員であり、良家の出であった兄弟エンリケは、同教会司教座聖堂参事会員で、聖徳高く大変信仰の厚い人物によって、幼時よりすべての徳と神に対する敬畏を教えられた。この善良かつ義なる人が自分の肉を犠牲にし、腐敗した世間の誘惑を軽蔑し、あふるるばかりの慈悲心より善を行なったので、青年期のいまだ柔らかい精神に、あもゆる徳を実際行なうことを習慣づけた。すなわち貧しい人びとの足を洗わせ、礼拝所をたびたび訪れさせ、悪い習慣を厭わせ賛沢を軽蔑させ、純潔を愛させたのである。

秀れた性格のその青年は、常に規律に従順であり、徳を行なうように心を準備していたので年とともに良い習慣が増していった。彼と交わった人は、天使だと言うであろう。まるで生まれつき善が備わっていたかのごとく。

時が流れ、パリへ行った。そこで神学の学習に身を捧げたが、天才の持つ鋭さと整然とした理論を人に示した。私と同じ宿舎に滞在することになったので、いっしょに生活することによって、私たちの心は親密な愛情で結びついたのである。

兄弟レジナルドが恩寵に導かれ、パリに来て熱心に宣教していた頃、私は修道士たちと知り会う以前から心に考え何度も想像していたような救いの道を見付けたと信じ、この修道会に入る計画を立ててそれを心の中で誓っていた。私の計画が定まると、学友であり心の友である者に同じ誓いをするように説き始めた。それは彼の生まれつきの秀れた性格から考えて、彼が宣教の職務に適していろと思われたからである。

彼は拒んだが、それゆえに私はなおさら強くそれを求めた。私は兄弟レジナルドに告解をしその助言を受けるように勧めた。神父のもとから帰り、み摂理を理解しようとしてイザイア書な開くと、彼の目は次のところに釘付けになった。「落胆するものをひと言で支えられるように、主なる神は私に弟子の舌を与えられた。私が弟子として聞くように、主は朝ごとに私の耳をさまさせる。神なる主は、私の耳を開かれる。私はそれに抵抗せず、しりぞかなかった」(イザイア・五〇ノ45)。私は、あたかも天から下ったように彼の意図に的確に合致致したこれらの預言の言葉を彼に注釈してやり、青年期を従順のくびきに秘枷すうに勧めた。すぐ私たちは、その少し後に出で来る「いっしょにいよう」という句、すなわら聖なる導きに生きて、ひとりひとり決して離れるべきではないという教えに気付いた。

後になり、私がボローニャに住んでいるとき彼はあのテキストについて書いた書簡をよこした。「現在では、『いっしょにいよう』というのはどうなってしまったのだ。あなたはボローニャ、私はコローニャだ」。それに私は答えた。「キリストがご自分のために望まれ、彼の後継者の諸使徒が受け入れた清貧を行ない、キリストの愛ゆえに、この世のもの総てをさげすむ。このことより称賛されるものが、このことより光栄ある栄冠があるだろうか」。

反対のことを唆かしていた頑迷な心の障害にもかかわらず、道理は彼の心に受け入れられた。