50 彼がある司祭の前に姿を現わしたこと

 

コローニャの町に兄弟エンリケが住んでいたとき、深く彼に傾倒していた尊敬すべき夫人がいた。彼女がある日、もし彼が先に死亡したならば、死後彼女の前に現われることを約束してくれるように頼むと、彼は神の許しがありさえすれば、その頼みを聞き入れようと同意した。

彼が死ぬと、彼女は待った。そしてあの約束が実現されるのを見たいという切望に燃えていた。その前から、死者の霊は生き続けるか、あるいは死によって終わってしまうのかという、敵方から来る邪念に悩み、誘惑におし流されて動揺していたのである。長い間侍ら望んだが、何も現われなかった。それで誘惑は強くなり、独り言をいった。 「もし私たちにいつも話している未来の生命というものに、真実のかけらでもあるのなら、私の愛したあの人が真実を証明してくれているはずである」。

心は打らのめされ悲嘆にくれた。その間、ある信仰の厚い人物の前に、兄弟エンリケが現われて、その人がそれまで知らなかった彼女の正しい名を言い、「あの夫人のところへ行きなさい」と命じた。彼女は幼いとき信心から名を変えていたので、洗礼名よりその名の方が拡まっていたのである。兄弟エンリケが説明すると、一度でその人はことを理解した。 「彼女のところへ行きなさい。そして、私の名で彼女に挨拶し、こう言いなさい。貴女はこれとあれを今までにした。以後このような振舞はさけ、これこれこういうことをしなさい」。この命令の中で言われていつ内容は非常に個人的なことであったから、彼女以外に知る人はなかったはずである。

エンリケがこれらのことを述べているとき、この善良な人は、彼が胸に非常に明るく輝いている素晴らしい宝石をつけ、顔の前面には宝石をちりばめた一種の壁があって、それに視線を向けているのに気付いた。それで質問した。「貴方の胸によく光っている宝石と、素晴らしい壁は何を意味するのですか」。それに答えた。「宝石は俗界において私が守った心の聖さの印であり、これを見ていると慰められる。この壁は私の勧めと宣教と告解で建てた主の建物の一部である」。

そうこうしているうちに、天の女王、あわれみの母である聖マリアが現われて兄弟エンリケに近づくと、エンリケは「これが私の主、救世主の御母であり、このかたに仕えるように私は選ばれたのである」と言って、聖母とともに消え去った。

あの善良な人はかの夫人のところへ行って、順序立てて起こったことを語った。真実現われたのだということを証明するため、他にもいろいろと述べはしたが、彼の愛けた啓示の中で一番の秘密に属する事柄を明らかにした。彼女は慰めで満たされ、誘惑の重圧から解放された。

しかしさらに慰めとなったのは、彼女自身が後になって経験したことである。ある日、居間の櫃に寄りかかり、信仰の喜びのうちに兄弟エンリケの古い手紙を読み返していると、次のような一節に出会った。 「イエス・キリストの甘美な胸の上に貴女の魂の渇きを捨て、そして消しなさい」。

この言葉を思い起こすと、あたかも生きて目の前にいるドミニコの口から直接聞いていろように、精神が恍惚となり、キリストの聖心の側にいる自分を見たのである。そして、もう一方の側には兄弟エンリケがいた。その胱惚とした状態は非常に深く、神のそのすばらしい慰めに心惹かれ、あの霊的甘美さの奔流に完全に酔いしれてしまい、夫の待つ食卓につくように呼んでいる女中の声にも気付かなかった。やっとあの霊の蜜のような酔いからわれに帰り、意識を回復した。

これで兄弟エンリケの物語を終え、残りの部分を続けることにしよう。