53 ラングドックの助祭長であった兄弟エべラールについて

当時ラングドックの助祭長で、徳高く物に動ぜぬ分別のある人物、兄弟エベラールがパリで入会した。彼は非常に大きな権力を持っていたのでよく人に知られていたが、清貧を受け人れることにより、教化に一層の効果を挙げた。彼――私をやさしく愛してくれていた――は、私とともにロンバルディーに差し向けられ、ドミニコ総長に会うという大きな望みをもって旅立った。フランスとポルゴーニャの全域――これらの地で彼は前にはよく知られていた――をいっしょに歩き、彼は体内に帯びていた貧しいキリストの心を拡めた。ローザンヌの地では、以前に司教に選出されていたが、そのような権威を受けることを望まず、そこで短かく貧しいがしかし幸福な生涯を終えるまで宣教を続けた。

死ぬ少し前、医者がさじを投げたがそれを隠していたところ、私に次のようにいった。「医者が、私は死すべき運命にあると判断したのならば、どうしてそういってくれないのですか。死を考えることが苦痛な人にこのことを隠すのは良いことです。が、私は死を恐れはしない。われらの地上の住まいである仮りの家屋のこの肉体が滅び、その代わりとして、人間の手で造られたものでない、天にある永遠の住まいが与えられるのを待ち望む者にとって恐れろ物はなにもない」。そして、肉体を地に、霊を創造主に委ねて死んだ。

彼が息を引きとる時、私は苦しみと迷いに動揺するのではないかと恐れたが、反対に快い信仰心と喜びに満たされたので、永速の喜びに向かって旅立った人のためにそれ以上泣くことは私の良心が許さなかった。これは彼の死に際して得た、私にとって嬉しい教えであった。