56 ドミニコ総長の墓と、そこで行なわれた奇跡について

 

幸いなる人の敬まうべき葬儀についていくらか述べることにしよう。

彼の死んだころ、現ローマ教皇グレゴリオであるオスティアの枢機卿がロンバルディー地方の教皇使節としての任務を果たすためにボローニャに来ていた。このため多数の権力者・高位聖職者がそこに滞在していた。

彼は、親しく交わり深く愛していた総長ドミニコの死の報に接すると、そこに来て、ドミニコの徳高く聖人であったことを周知していたので、彼自身が葬儀の典礼を行なうことを望んだ。そこにはまた、ドミニコの幸いなる昇華と聖なみ生活を知っている人びともいて、彼らはみな彼が不滅の袍を受けたことを確信していた。

幸いなる死と、至高なる住まいとしての永遠の慰めを得るためには、現世の空しいものを軽視することのいかに必要かをその葬儀は見せてくれた。

このことは、俗人の信心と民衆の尊敬とを呼び覚した。さまざまな病いや痛みを歎いていた大勢の人びとが彼の墓に馳せつけ、悪い箇所が治癒されるまで日夜そこで過ごした。そして病いの箇所すなわち治癒した箇所を示すろう製の目や手・足その他の肉体の部分を聖人の墓に捧げ、回復の証しとした。

これらの不思議の中にあっても、恩寵を感謝することを知っている修道士はひとりとしていなかった。多くの者は、信心をよそおって利益を得ているのではないかと世間の者が考えぬよう、奇跡を認めるべきではないと信じていた。それゆえに不謹慎な方法でその名声を扱い、教会の共通の利益をなおざりにし、聖なる光栄を葬ってしまった。

生存中、徳において光り奇跡において輝いていたことは明白である。それについていろいろと語られるのを聞いて来た。しかし話し手により相違があるので、いまだ文章にされてはいない。ひとつのことを確証なしに綴ることにより、読者が疑問を抱く恐れがあるので。われわれの耳に入ったことのうち非常に確実だと思われることを述べることを神が正しい思われんことを。