59 ドミニコの霊的人格

 

それ以外のもの、奇跡より輝き偉大であったものは、彼の非常に清く聖なるものによって激しく方向づけられた生きかたであり、彼が栄誉と恩寵の器、あらゆる種類の宝石で飾られている器であることが明らかに見られた。

隣人へのあわれみと同情で心が動揺するとき以外、彼の平静さの変わることがなかった。そして、楽しい心が顔つきまで楽しげにしたので、顔の喜びの色と穏やかさは、内的な人の温和さと均衡とを見せてくれた。

神が喜ばれることがはっきり解ることにおいて、彼は決して操をまげなかったので、一旦決定を下だし命を下だすと、撤回するようなことはなかった。

そして、喜びが常に彼の顔に輝いていたが、人びとの言うところによると、その輝きは地上のものではなかった。

この喜びにより、たやすくみんなの愛情を得、彼を見たものはみな彼に魅せられてしまった。彼はどこに居ようと、同僚と旅に出ていようと、よその家でそこの主人や家族とともにいようと、高位聖職者や領主や権力者の間にいようと、常に教訓の言葉を与え、範を惜しげもなく示した。そして聞き手の心を、キリストへの愛と俗世を蔑すむことへと傾けた。彼の言葉と行ないはどこにあろうと、福音の人であることを示していた。

日中は、修道士や伴なっている人びとと交わったが、彼より親しみやすく、優しい人はいなかった。

夜は、寝ずに祈りのうちに過ごし、彼より勤勉な人はいなかった。晩課において涙を、朝課において喜びをあふれさせた。日中は隣人に捧げ、夜は神に捧げた。それは神が日中には慈しみを、夜には主の歌を送られることを良く知っていたからである。昼も夜も、涙を糧としてたびたび泣いた。日中にはおもにミサをあげている時に。夜間はだれにも劣らぬ疲れを知らぬ祈りに身を捧げている時に。

夜を教会で過ごすことは根の張った習慣であった。それゆえ、まれにしか定まった寝床を持たなかったように思われる。はかない肉体が耐えうる時間は全てがまん強くはげんで祈りに夜を徹した。そして衰弱し疲れ果てた精神が眠気をさそうと、ぞり時には祭壇の前や、あるいは他のどこかで、族長ヤコブのように石の上に頭を寄せかけて少しの間休んだ。そしてまた祈りのうちに再び激しい霊の動きへと立ち戻った。

すべての人が、彼の心の無限の愛の中に抱かれ、彼はみなを愛しそしてみなに愛された。

喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣くことを義務のひとつと考えていた。慈悲心に動かされて貧しい者や不幸な人びとの世話に身を捧げた。

他のことからもまた、彼は他人から親切な人間に見られた。というのは彼の道は常に純粋であり、言葉にも行ないにも、作りごとや二重性が見られなかったからである。

貧困の真実の友であり、常に粗末な衣服を用いていた。

食べ物にも飲みものにも節度があり、手のこんだ食をしりぞけ、一皿で満足し、ぶどう酒は水を割った。肉体を支配する力が大きかったので、霊の鋭敏さをそこなうことなく肉体を養うことができた。

いかなる人が、この人物の徳をすべて模倣することができるであろうか。ぞの徳をわれわれは称賛することもできるし、彼から見れば、今日の人間の怠惰とも判断できるであろう。彼がなしたことをするのは、もはや人問の徳になるものではなく、神の特別な恩寵によるしかない。神は、だれか他の人にこの完徳を置き至高なるものを再現なさることもあろう。しかしこのような高い企てにだれが価するであろうか。

兄弟たちよ、われわれにあのような父を与え給うた救世主に感謝を捧げ、われわれの力の範囲内で父の跡を模倣しようではないか。神の子たちを動かすあの霊によってわわれれか導かれ、祖先のたどった道を歩んで、われらの父がすでに達した不滅なる幸いの終着点に、横道にそれることなくわれわれも着くことができるよう、慈愛の父に願おうではないか。アーメン。