60 兄弟ベルナルドが悪魔より被った迫害について

 

ドミニコ総長の生存中の出来事の話しを終え、その後に起こったたことを述べよう。

前にも述べたように、兄弟エベラールがローザンヌで死亡したのち、私はロンバルディーにおける管区長の職務を果たすため、そこに向かって旅を続けた。当時兄弟ベルナール・デ・ボローニャという者が、残酷な霊によってさいなまれ、昼も夜も激しく苦しんだため、修道士たちは混乱状態であっだ。この苦難は、神が僕たちの忍耐力を増そうとし、慈悲心より用意されたものに疑いない。

しかしこの試みが、どのようにして前述の修道士に下だされたのか話そう。彼は入会後、罪の痛みに動かされ、何か罪の償いとなるものを科して下さるよう主に願っていた。主は、悪魔につかれて苦しむことを望むか、と彼に訊ね給うていたが、彼はこれに恐れを抱いて同意することはできなかっだ。が、あるとき熟慮し犯した罪に憤りを感じ、彼の語ったところによれば、自分を清めるため悪魔に肉体を引き渡すことに同意した。そして即座に、彼の心に抱いていたことが神の許しのもとに実現された。

悪魔は彼の唇を通して、数多の称賛すべき言葉を述べた。ある時には、神学や聖書の学問には余り精通していなかったこの修道士が一度悪魔に取りつかれると、聖アウグスティヌスでも激賞するど思われるような意見さえも述べた。

大変な称賛を得て思い上がり説教をしたので、彼の説教に耳を貸す者もいた。悪魔はたびたび私にもし私が宣教を止めるならば、彼もまた修道士を誘惑するのを止めるであろう、といった。私はそれに答えた。 「死と同盟すること、地獄と条約を結ぶことは私の本意ではない。お前には気の毒だが、お前の誘惑を修道士たちは利用して、強く恩寵の中に生きるであろう。誘惑と試練は地上における人間の生活そのものであるから。

偽リの、そしてその場限りの道理でわれわれの心に悪の種子を蒔こうとしたが、私は見破っていった。「なぜ何度も同じ誤ちを犯すのだ。私がお前の企みを知らぬ訳でもないのに」。彼は答えた。「私はお前の性質をよく知っている。最初に提案した時には拒み軽蔑しても、ついには私のねばり強さに負けて簡単に、しかも喜んで受け入れるであろう」。このことをキリストの兵士たちは、良く聴くがよい。お前たちにとり、闘いは肉や血に対してではなく、この暗闇の主やその権力に対してであり、天空にある悪の霊に対してである。敵の忍耐強さに逆らい常に聖なるものへの情熱をかりたて、精神の緩みをひきしめなさい。

そして、それにも増して困惑したのは、悪魔があたかも宣教しているかのように、大きな効果のある理論を並べたので、彼が言葉を発するとそれがまるで深い信仰からのもののように見え、大勢の人びとが涙を流したことである。

悪魔のついた修道士の体が、時には人間の作り出すどの匂いよりも素晴しく快い香りを放った。天使が天からもたらしたように思われるあの香料は私をもまた撹乱し、この誘惑は悪影響を及ぼした。これは、彼が神聖をよそおい落とし穴をひろげた時に起こることであった。