62 晩課の後の交頒サルべ・レジーナの設定

兄弟ベルナールが受けた残酷な苦しみから、ボローニャにおいては、晩課の後交頌サルべ・レジーナを歌うことになった。この修院からロンバルディー管区全域に拡まり、ついには修道会全体が、そのように勧めに価する信心深い習慣を採用するに至った。キリストの聖母への讃歌がどれほど信仰の涙を誘ったであろうか。それを歌いそれを聞くとき、どれだけ愛がわれわれを感動させてくれたのであろうか。どれほどの甘美さを味わわせてくれたことであろうか。どんなに大勢の人に信仰の心を呼び覚したことであろうか。われらの救い主の御母はこのような讃美を好み給い、この讃美に憩われることはだれでも知っている。ある信仰の厚い信頼すべき人物は、修道士たちが「われらの保護者なる御母」を歌っている時に、ときどき神の御母が息子の前にひざまずいて、全修道会の存続を願っておられるのを見た、と私に話してくれた。

これを読む修道士たちが、以後もっと聖母に信心を捧げるように、このことを思い出さんことを。