オスマ教区に呼び寄せられその司教座聖堂参事会員となったこと

 

神に選ばれた者が心の中で徳への準備をすでに整え、清い生きかたゆえに雲間にかがやく暁の明星のごとく友人たちの中で輝きを放ち、彼らの目には日々己れを高めるように見え、徳から徳へと進んでゆくとき、彼の名声はオスマの司教の耳に届いた。司教はその根拠を調べた後、教区の参事会員にするため彼を呼び寄せた。

初めから、その輝く星は非常に謙虚で、聖人のように参事会員の中にあって光を放っていた。聖人としての光はだれにも劣らず、火にたかれる香のように、人びとに力を与える生命の香りとなるべき人であった。

人びとは、熟し切り完成の頂にある人物を目の前にして驚嘆し、一番高いところに彼を置き、彼をながめる人びとを模範によって高めてくれるよう院長に任じたのである。芽を出したオリーブのごとく、雲まで届く糸杉のごとく毎日毎夜をとぎれることなく祈りながら聖堂で過ごした。観想のすさびに身をまかせ、修道院の壁の外の姿を見るのはまれであった。

神は彼に、罪人のため不幸のため悲嘆にくれる者のために泣く恵みを賜った。彼らの困窮は彼の魂の奥深くまで動かし、外には涙となって流れ出した。

夜を祈りに過ごし、戸を閉めて父に祈りをささげることがたびたびあった。神との聖なる会話の間、心のさけびは声にも出て、遠くからでも明瞭に聞きとれるほどであった。

常に神に向かって次のような嘆願をした。われらの救済のために身を捧げられた救い主イエスと同じように、魂の永遠の救いのために身を捧げた時に初めてキリストの四肢となりうることを理解しているので、人間の救済のために真実身を捧げることのできる愛を賜わるようにと。