その血を鴨居と二本の柱に塗らなければならない

25. そして血が塗られた「鴨居」とは、教会のことであり、また、「二つの」柱とは、二つの民のことなのであります。 2 おお、イスラエルよ、なるほど救い主は、ご自分が先ずあなた方に遣わされたのだ、ということを否定されたりはなさいませんでした。実際、救い主はこう言われています。「私はお前たちのところに遣わされたのではない。私は、イスラエルの家の失われた小羊のところに遣わされたのである[1]」と。そしてこの私は、小犬のように、他人の食卓のかたわらに座りましたが、まだパンを食べることができませんでした。そこで、他人の食事の居候となって、落ちてくるパンくずを拾い集めたのであります[2]。しかしながらあなた方は、諸々の天から来られたマナを認めなかったので、パンは、信仰のゆえに、私のところに振り向けらました。そして私は、犬のかわりに、いまや子供となったのであります<**>。



[1] Cf.Mt.15,24.

[2] Cf.Mt.15,27.