火で焼いて

27. また、その肉は「火で焼かれねばならない」とあります。それは、キリストの理性的なおん身体が燃え盛っていたからであります。「私は地上に火を投げ込みにやってきた。火がすでにともされていたなら、私は一体何を望んだだろうか[1]」と言われています。



[1] Lc.12,49.