私はこのパスカをあなたたちと一緒に食べることを望んだ

49. イエズスが私たちのために望まれたパスカ[1]、それはご受難を忍ばれることでありました。イエズスは、ご受難をもって(私たちを)苦しみから解放し、死をもって死に打ち勝ち、目に見える食物を通してご自身の永遠の生命を授けてくださったのであります。諸々の予型を予型としてお示しになり、ご自分の弟子たちにはこれに代えて、神聖なるおん体をお与えになること、これぞ、イエズスの救いをもたらすおん望み[ご意向]、この上もなく霊的なエロース[]であります。こう言われています。「取って食べなさい。これは私の体である。取って飲みなさい。これは私の血、多くの人のために流されて罪のゆるしとなる新しい契約(の血)である[2]」。 2 ですからイエズスは、食べることを望まれたと申しますよりも、苦しむことを望まれました。それは、(わたくちたちがその神聖なるおん体を)食べることによって私たちを苦しみから解放するためであります[3]



[1] Cf.Lc.22,15.

[2] Mt.26,26-28;cf.1 Co.11,25.

[3] イエズスが望まれたパスカは、子羊を食べることではなく、苦しむことである。これはパスカを受難とみなす解釈による。Cf.Irénée: Haer.,IV,x,1 (PG VII,1000 B) et Demonstratio, 25(PO XII,769.