第一部の内容

5.  では、先ず手始めに、律法が何であるか、また、なぜ律法が必要なのか、そしてどうして律法がエジプトの後にあるのかを簡単に申し上げることにいたしましょう。次いで、エジプトから始められたパスカは何なのか[1]、また、パスカをめぐる救いの計画全体は何なのか[2]、そしてパスカの一切にかかわる神秘はそもそも何なのかを[3]、私たちは簡単に申し上げることにいたしましょう。 2 しかし、先ず、聖書そのものを引用して、比較したり照合したりしながら、個々の問題点を見極めることにしてみます。(こう書かれています)

 「そして主は、エジプトの地で、モーセとアロンに次のように言われた。『この月は、お前たちにとって、諸々の月の元、一年の諸々の月の最初(の月)である。イスラエルの子らの全会衆に次のように話しなさい。<この月の十日に、おのおの父の家ごとに小羊を、すなわち家族ごとに小羊を取らなければならない。もしも家族が小人数で、(一頭の)小羊に十分でないなら、すぐ隣の人を十分な数だけ自分たち(の家族)に加えなければならない。おのおのが(一頭の)小羊を十分に食べられるだけ、その人数が数えられねばならない。お前たちの小羊は、完全な一歳の羊でなければならない。お前たちは、牡羊と牡山羊の中から取らなければならない。そしてお前たちは(この小羊を)この月の十四日まで生かしておき、イスラエルの子らの全会衆は夕暮れにそれを屠らなければならない。次にその血を取って、(小羊を)食べる家々の戸口の二本の柱と鴨居に、それを塗らなければならない。そしてその夜、その肉を火で焼いて食べ、また、種なしパンを苦菜に添えて食べなければならない。お前たちは、その肉を生のままで食べてはならない。また、水で煮て食べてはならない。頭も足も内臓も切り離さずに火で丸焼きにして、食べなければならない。お前たちはその肉を夜明けまで残しておいてはならない。また、その骨を砕いてはならない。夜明けまでに残ったものは火で焼き尽くされねばならない。そしてお前たちは次のようにしてそれを食べなければならない。お前たちの腰に帯を締め、お前たちの足に履物をつけ、お前たちの手に杖を持たせなければならない。そしてそれを急いで食べなければならない。これは主のパスカである。そして私は、その夜エジプトの地を通り過ぎ、人間から獣にいたるまで、エジプトの地にあるすべての初子をその夜に打ち、エジプトの人たちのすべての神々に対して裁きを行なう。私は主である。そしてお前たちのいる家々に塗られた血は、お前たちのしるしとなる。私はその血を見て、お前たちを守る。そして私がエジプトの地を打つとき、その殺戮の打撃はお前たちに及ばない。そしてその日はお前たちにとって記念すべき日となる。お前たちは子々孫々にわたってこの祭りを主のために祝わねばならない。お前たちはこれを、永久の掟として祝わなければならない。お前たちは七日間、種なしパンを苦菜に添えて食べなければならない>(こう、イスラエルの子らの全会衆に話しなさい)』と[4]」。

 「再び主は、モーセとアロンに言われた。『パスカの掟はつぎの通りである。異民族は誰もそれを食べてはならない。(しかし)何がしの奴隷や金で買われた男奴隷は誰でも、お前が彼に割礼を施すならば、それを食べることができる。滞在者と雇われ人はそれを食べてはならない。それは一つの家で食べられなければならない。お前たちは、その肉をその家から外へ持ち出してはならない。そしてお前たちはその骨を砕いてはならない。イスラエルの全会衆はこれを行なわなければならない。(しかし)割礼を受けていない者は誰もそれを食べてはならない。この国の者にも、お前たちの中に新たに加わった新参者にも、同じ掟が適用されねばならない』と[5]」。

 

6.  このように聖書は、神聖な祭りを神秘的に予告しております。そこで、いま、私たちは、朗読された数々の言葉を一つひとつ詳しく調べ、あなたがたの祈りのうちに、聖書の隠された諸神秘を探求してみましょう。そして書き記された数々のことの真理を無にすることなく、諸神秘の正確な姿を、数々の予型を通して、観想してみることにいたしましょう。 2 実に、神的な霊は、モーセに、「私がお前に示す型に従って」と言って、幕屋を作るように命じていました。これと同じように、原型となる最初の型に即し(てもたらされ)たものは[6]、予型として見られるものであり、神秘として考察されるものなのであります。 3 では、先ず最初に私たちは、なぜこの月が諸々の月の元なのか、また、何ゆえにこのパスカの月が一年の諸々の月の最初なのかを申し上げることにいたします。次に、この月の十日に取られた小羊、完全で一歳の小羊が何なのか。隣人とは誰なのか。新たに加えられた隣人とは誰なのか。また、何ゆえにその小羊は十四日まで生かされて、その後、夕暮れに屠られねばならないのか。(聖書に)「イスラエルの子らの会衆は全員で夕暮れにそれを屠らなければならない」(とあります)。二本の柱と鴨居とに塗られた血は何なのか。何ゆえに彼らはその肉を夜に、しかも火で焼かれたもので、生でもいけないし水で煮てもいけない肉を食べねばならないのか。そもそも、「頭も足も内臓も切り離さずに」とはどういうことなのか。また、なぜ「その骨を砕いてはならない」のか。そして苦菜に添える種なしパンとは何なのか。何ゆえにパスカを「急いで食べなければならない」のか。帯で締められる腰や足に履くはきもの、また、手に持つ杖は何なのか。さらに、「主のパスカ」とは何なのか。「お前たちのいる家々に塗られた血はしるしである。私はその血を見て、お前たちを守る。そして私がエジプトの地を打つとき、その殺戮の打撃はお前たちに及ばない」とは何なのか。また、「お前たちは七日間、種なしパンを食べなければならない」とは何なのか。なぜ異民族[他国で生まれた者]は食べてはいけないのに、家で生まれた者[奴隷]は割礼を施されねばならないのか。そして「それは一つの家で食べられなければならない[7]。お前たちは、その肉を外へ持ち出してはならない。そしてお前たちはその骨を砕いてはならない。割礼を受けていない者は誰もそれを食べてはならない。全会衆はこれを行なわなければならない」――この会衆とは何なのか――「この国の者にも、お前たちの中に新たに加わった新参者にも、一つの掟が適用されねばならない。同一の掟が両者に適用される」とは何のことなのでありましょうか。



[1] エジプトは、地理的な出発点であるばかりでなく、著者が第10節で説明するように、パスかの論知的な出発点でもある。著者によるとパスカは、エジプトに起源を有しそれを象徴する偶像崇拝の根絶である(10)

[2] o[lh h` peri. tou/ pa,sca oivkonomi,a;本講話第11節から第15節参照。

[3] 本講話第16節から第42節参照。

[4] Gn.12,1-15.

[5] Gn.12,43-47,48b-49.

[6] to. kata. to. prwto,tupon kai. prwtogene.j para,deigma

[7] 『出エジプト記』の本文は、複数の家と複数の子羊の可能性を残している。しかしこの講話作者は、他の諸教父と同様に、この句を唯一の家のことと理解し、唯一の教会に当てはめている。本講話第41節参照。