さらに私たちは、彼の思い上がりがどの程度のものか考察して見ましょう。それは、私たちが思い上がりを避け、彼が私たちにまさって真実を語ることを私たちが許さないようにするためです。では彼は何を言っているのでしょうか。「私は、諸々の力によって行う。私は、知性の知識によって諸国の民の諸々の境を取り去る[1]」とあります。彼は、その力強さによって、自分の望むことを私たちの間で成し遂げることができると考えました。実際、もしも私たちが(彼に)打ち負かされ、これの言葉の後で罪を犯したなら、もしも私たちが教会を後にして再び馬どもの競技場や馬場そして異邦人たちの集会に赴くなら、圧倒された私たちを彼が掌握すること以外、何が行われるでしょうか。そして「私は、諸々の力によって行う」と悪魔が言った事態が、罪を犯した私たちの中で、脅迫されたとおりに訪れるのです。さらにまた、もしも私たちが、長期の貞潔の後で、そして大きな聖性の後で姦淫を犯すなら、「私は諸々の力によって行う」と言った悪魔は、私たちにまさって真実を語ったことが立証されること以外、何が行われるでしょうか。しかしこの尊大な語り手は、他に何を約束しているか、私たちは見てみましょう。「私は、知性の知識によって諸国の民の諸々の境を取り去る」とあります。彼が約束する知恵を私は知りませんが、預言者もその知恵について、「彼らの内には異国の知恵のようなものがある[2]」と言っています。これは、真理とは無縁の何らかの知恵で、神はこれを滅ぼされます。そして彼は、この知恵を持って、自分が賢者であると考え、「私は、知性の知恵によって諸国の民の諸々の境を取り去る。そして彼らの諸々の力を奪い取る」と言っているのです。実際、彼の働きは、諸国のすべての民に及んでいます。しかし救い主は、諸国のすべての民の中にご自分の諸々の言葉を遣わして、悪魔によって諸国のあらゆる民の中に捕らわれていた人たちを救い出されるのです。「そして私は、彼らの諸々の力を奪い取る」とあります。彼は、私たちの諸々の力を略奪し、私たちに戦いを挑む兵士たちに私たちを渡すと脅しをかけます。しかしながら彼が何をもってこのことを行うのか見なければなりません。すなわち誰かが悪魔によって打ち負かされ、最悪の霊である鬼神たち、逆らう霊的存在者たちに渡されたとき、「私は彼らの諸々の力を奪い取る」と言った彼が、私たちの諸々の力を受け取って、私たちを奪い取ること以外、何が行われたでしょうか。「そして私は、人々の住まう諸々の町を揺り動かす[3]」とあります。悪魔はこう脅します。つまり、彼は、主キリストの内に建設された神の諸教会は、人々の住まう諸々の町であることを知っていて、それを揺り動かすと叫んでいるのです。確かに悪魔は、人々の住まう諸々の町を、諸々の迫害によってしばしば揺り動かし、あるいは諸々の躓きによって揺り動かしたのです。しかし私たちは、「土台を岩の上に据えて[4]」、次のように言う人のようになるよう努めましょう。すなわち「私は、人の住まう諸々の町を揺り動かす」と彼が言っても、彼は私たちを、その暴力によっても、敵対する霊どもを通しても動かすことはできない。かえって私たちは、降り掛かるすべてのことに対して、しっかりと踏みとどまりましょう。なぜなら私たちは、「イエス・キリストという岩[5]」の上に家を建てたからですと。イエス・キリストに「栄光と力が代々にありますように。アーメン[6]」。



[1] Is.10,13.

[2] alienigena quaedam sapientia est in iis; Jr.8,9: sofi,a ti,j evstin evn auvtoi\j)

[3] Is.10,14.

[4] Cf.Lc.6,48.

[5] Cf.1Co.10,4.

[6] 1P.4,11.

 

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