15  「根絶やし、絶滅させるために[1]」。一方で悪魔<>建物が存在し、他方で神の建物が存在します。「砂の上に[2]」建てられた建物は、悪魔からのものであり、それは決して堅固でしっかりと固められた土台の上に据えられたものではありません。しかし「岩の上に[3]」建てられた建物は、神からのものです。神に属する人々に何と言われているかご覧ください。「あなた方は神が耕す畑、神が築く建物なのです[4]」と。

  それで主のみ言葉が、「諸々の民と諸々の王国を根絶やし、破壊し、絶滅させるために、それらの上に[5]」臨んだのです。ところがたとえ根絶やしにされても、根絶やされたものが絶滅させられなければ、<絶滅されたものは存在し続けます>。たとえ破壊されても、廃虚の石が絶滅させられなければ、破壊されてものは存在し続けるものです。ですから、神の慈しみの業は、根絶やした後に、根元から引き抜彼たものを絶滅させること、引き倒した後に、引き倒されたものを絶滅させることであります。あなたは、これらの根絶やされ、絶滅させられるものについて、(聖書を)注意深く読んでみてください。どのようしてそれらのものは、絶滅されるのでしょうか。「麦わらの方は、燃え尽きない火で焼き払い」、「毒麦は束にして火にくべなさい[6]」。根絶やされた後は、このようにして絶滅させられるのであります。もしやあなたは、粗末な材料で出来た建物が破壊された後に、絶滅させられるのもご覧になりたいのですか。らい病のゆえに破壊されたあの家は、「塵[7]」となりました。そして「塵」となって、「町の外に[8]」投げ捨てられました。それは、「私が彼らを広場の塵のように、粉々にする[9]」という言葉にあるように、一つの石も残らないようにするためだったのです。たしかに数々の悪しきものは、決して存続してはならないのです。(残された)石が、新たな家を建てることのできる邪悪な者の格好の建築材料とならない<ように>、家は破壊されたのです。邪悪な者が根絶やしにされたもののなかに、種を見出さないように、あの家は根絶やされたのであります。それは、邪悪な者が再び毒麦をまかないようにするためでした。そういうわけで、「お前たちは毒麦を縛り、それらを火で焼き払いなさい[10](と言われているのであります)。それは、毒麦が根絶やされた後で絶滅させられるためであり、悪魔の建物が破壊された後で、絶滅させられるためなのです。



[1] Jr.1,10.

[2] Mt.7,26.

[3] Mt.7,25.

[4] 1 Co.3,9.

[5] Jr.1,10.

[6] Cf.Mt.3,12;13,30.

[7] Cf.Ps.17,43.

[8] Lv.14,40.

[9] Ps.17,43.

[10] Cf.Mt.13,30;3,12.

 

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