2 エレミアに関する言葉にも、同じようなことをあなた方は見出すでしょう。エレミアがいつ預言を始め、またいつまで預言をしたのかという、彼の預言活動の時期が書かれています。さて、これを読んだ人が、もしも読んだことに注意を向けず、また、書かれていることの意味を探求しないとすれば、その人は、「これは歴史であって、そこにはエレミアがいつ預言を始め、いつまで預言活動を行い、いつ預言をやめたかが書かれているのだ」と言うでありましょう。それでは、この歴史は、私にとって何なのでしょうか。それを読んでみますと、私は、(エレミアが)「ユダの王、アモスの子、ヨシアの時代、その治世の第十三年に[1]」預言を始め、次いで「ユダの王、ヨシアの子、ヨアキムの時代にも[2]」姿を現し、「ユダの王、ヨシアの子、ゼデキアの第十一年の終わりまで[3]」預言をしていたということを学びます。また私は、彼の預言が、三人の王に及び、「(その年の)五月、すなわちエルサレムの捕囚(の日)まで[4]」続いたことを学びます。では、私たちが、いま読まれたことに注意を向けるとすれば、私たちはこれらの話しをとおして、何を教えられるのでありましょうか。



[1] Jr.1,2.

[2] Jr.1,3.

[3] Jr.1,3.

[4] Jr.1,3.

 

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