ですから、罪を犯すことがどれほど大きな災いであるかをご覧ください。罪を犯した者たちは、神によって見捨てられた人々の魂を捕らえる「サタンに引き渡される」のです。しかし神は、ご自分が見捨てた者たちを、理由なしに、またでたらめにお見捨てになったのではありません。実際、神がブドウ畑に雨を降らせたのに、ブドウ畑がブドウの実の代わりに棘を生み出したなら、神が雲に命じて「お前は雨をブドウ畑に降らせるな[1]」と言う以外に何をするでしょうか。

  私たちにも、私たち自身の罪によって、捕囚が臨むのです。そしてもしも私たちが悔い改めなければ、私たちは、ネブカドネザルとバビロニア人たちとに引き渡されて、知性的な意味でのバビロニア人たちは、私たちをずたずたに引き裂くことでありましょう。これらの脅威があるからこそ、諸々の預言者たちの言葉、律法の言葉、使徒たちの言葉、そして私たちの救い主・主イエズス・キリストのみ言葉は、私たちに悔い改めについて語り、回心するようにと私たちを促すのでありましょう。私たちが次のように言われるお方のおっしゃることを耳にするのであれば、私たちは、そのお方の言われることを信じるようにいたしましょう。こう言われております。「私は、彼らに対して行うと話しておいた災いのすべてを思い直そう[2]」と。



[1] cf.Is.5,4-6.

[2] Jr.18,8.

 

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