さて、上に述べましたことは、序文に関するものであります[1]。この序文に次いで、「の言葉が彼に臨んだ[2]」と書かれています。彼がエレミアであることは、明らかでしょう。では、主のみ言葉は、何を彼に言われたのでしょうか。他の預言者たちに言われたことと比べて、著しく違ったことが言われております。実際、これが他の預言者たちのいずれかに言われたのを、私たちは見出したことがありません。アブラハムは、「預言者であり、お前のために祈るであろう」という言葉のなかで、預言者と呼ばれておりました[3]。しかし神は、アブラハムに、「私は、お前を(母の)胎内に形作るまえから、お前を知っていた。そしてお前が母(の胎)から出るまえに、私はお前を聖別した[4]」とは言われませんでした。それにアブラハムが、聖別されたのはもっと後になってから、すなわち、彼が「自分の土地、自分の親族、自分の父の家を捨てて[5]」出たときのことであります。イサクは、約束によって産まれました。しかし私たちは、この言葉が彼に言われたのを見出しません。これに続く預言者たちについて、私は何を述べればよいでしょうか。

エレミアは、際立った賜物を手に入れたのです。彼は、「私は、お前を(母の)胎内に形作るまえから、お前を知っていた。そしてお前が母(の胎)から出るまえに、私はお前を聖別した[6]」という賜物を手に入れたのです。



[1] 「序文」とは、本講話の序文ではなく、『エレミア書』のそれである。

[2] Jr.1,4.

[3] Gn.20,7.

[4] Jr.1,5.

[5] Gn.12,1.

[6] Jr.1,5.

 

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