しかし次のように言う人がいるかもしれません。「たとえあなたが、『彼は知らない[1]』という言葉を救い主に適応することができるとしても、また、たとえあなたが、救い主に対してこれと同じようなことを言うことができ、彼を『子ども[2]』として捉えることができるとしても、『独り子[3]』について、『すべての造られたものに先立って生まれた方[4]』について、また、受胎するまえに、『聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力があなたを覆うでしょう[5]』と福音で告げられたおん方について、これまで引き合いに出してきた言葉を述べることは、あなたにとって躓きである」と。そしてその人は、「私は話す言葉を知りません」と、言葉を継ぐのです。(しかし)あなたは、この言葉のなかに、救い主について注目に値する何かしら偉大なことを見出すことができるのではないかお考えください。なぜなら救い主にとっては、何かしら知らないものがあっても、知らないでいる方が、それらを知っているよりも偉大であるかもしれないのです。救い主には何かしら知らないものがあるということを、救い主ご自身が証言なさっていますので、その証言のみ言葉を引用してみたいと思います。ある人たちが救い主に向かって、「私たちはあなたの名によって『食べました』、そしてあなたの名によって『飲みました[6]』、また『私たちは、あなたの名によって悪霊どもを追い出し』、『多くの力ある業を行いました』と言いました。ところが救い主は、彼らにこうお応えになりました。「あなた方は、私から離れなさい。私はあなた方をまったく知らない[7]」。どうですか? 救い主によってそこで言われた「私はあなた方をまったく知らない」という言葉は、救い主のみ力を弱めるどころか、より偉大でより素晴らしいものとして示すのではないでしょうか。なぜなら救い主は、より劣った者たちや駄目になってしまった者たちをご存知ないからであります。もちろん救い主は、際立ったものやより優れたものをご存知です。そして「主は、ご自分に属するものをご存知です[8]」。しかし「(主を)知らない人がいるなら、その人は(主に)知られない[9]」のであります。

このように神は、罪人を知りません。しかし聞き手のなかには、私にこう言う人がいるかもしれません。「あなたは、神が罪人たちを知らないことを明らかにしましたし、神が『不法を働く者たち[10]』を知らないことを明らかに.しました。なぜなら彼らは、神の認識(の対象)に値しないのですから。しかし、『私は話す言葉を知りません[11]』というあの言葉が救い主によって言われた場合に、その言葉は偉大で栄えあるものなのだと、あなたは一体どのようにして証明するのでしょうか」と言う人がいるかもしれません。

話すこと、それは、人間のすることなのです。話すこと、それは、言語を使うことなのです。たとえば、ヘブライ人たちの言葉を話したり、ギリシア人たち<や、その他の人たち>の言葉を話したりすることなのです。もしもあなたが救い主のみもとに昇り、彼が「元に神とともにあった[12]」み言葉であることをご覧になれば、あなたは、救い主が話すことができないのがおわかりいただけるでしょう。なぜなら話すことは、人間のすることだからです。いや、(み言葉としての救い主が)知っていることは、話すことを超えているからです。またもしもあなたが、天使たちの言葉と人間たちの言葉とを比べ[13]、使徒が『ヘブライ人への手紙』のなかで証したように[14]、このお方が天使たちよりも偉大であることに気づけば、あなたは、救い主が「み言葉として、おん父とともにある神であった[15]」とき、天使たちの言葉をも超えていたと言うでありましょう。このように救い主は、学ぶのです。救い主はいわば知識を受け取るのです。ただしより偉大な事柄の知識ではありません。より小さくて一層劣った事柄の知識を受け取るのです。たとえば私は、子どもたちと話をするとき、自分を強いて、たどたどしく話すことを学びます    なぜなら私は、いわば幼児語を話す術を知りませんのに、私自身は大人でありながら、強いて子どもたちと話をしなければならないからです    。これと同じように救い主も、「おん父のうちに[16]」いて、神の栄光の偉大さのなかにいるときには、人間の話す言葉を話しませんし、下にいる者たちに言葉を掛けることもできません。ところが人間の体のなかにお入りになったとき、救い主は、元にこう言われたのであります。「私は話す言葉を知りません。なぜなら、私は若いからです[17]」。救い主は、身体的な誕生のゆえに若いのです。しかし、救い主は、「すべての造られたものに先立って生まれた方[18]」として年長者であります。救い主は、「諸々の代の終わりに[19]」おいでになり、<そして>遅れてこの(代の)生活にお入りになりましたから、若いのです。

ですから(救い主は)こう言われるのです。

「私は話す言葉を知りません」。しかし私は言語を超えたことを知っております。私は、この人間の言葉よりも何かしら偉大なことを知っております。あなたは、私が人間たちに話をするのをお望みなのですか。私は、まだ人間の会話を受け取っていません。私は、神であるあなたの言葉を持っており、私は、神であるあなたのみ言葉なのです。私は、あなたに話し掛けることができます。しかし私は、人間たちに「話す言葉を知りません」。私は「若い」のです、と。

 



[1] Cf. Jr.1,6.

[2] Is.7,16.

[3] Cf.Jn.1,14 etc.

[4] Col.1,15.

[5] Lc.1,35.

[6] Lc.13,26.

[7] Mt.7,22-23.

[8] 2 Tm.2,19; cf.Nb.16,5.

[9] 1 Co.14,38; Ga.4,9.

[10] Mt.7,23.

[11] Jr.1,6.

[12] Jn.1,2.

[13] Cf.1 Co.13,1.

[14] Cf.He.1,4-5.

[15] Cf.Jn.1,1-2.

[16] Jn.14,10-11.

[17] Jr.1,6.

[18] Col.1,15.

[19] He.9,26.

 

 

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