さて、彼らは言いました。「さあ、私たちは、彼のパンに木を投げ入れよう[1]」。またこうも言っています。「彼を生ける者たちの地から絶とう。彼の名が、もはや思い出されることのないように[2]」と。彼らはこのようにして、彼を殺し、彼の名を消そうと謀りました。しかしイエズスは、ご自分がどのようにして、そしてなぜ死ぬのかをご存じでした。それで彼はこう言われます。「もし麦の一粒が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかしそれは死ねば、多くの実を結ぶ[3]」と。こうしてイエズスの死は、蒔かれたものを何倍も豊かにする麦の一粒になったのです[4]。かりにイエズスが、十字架に架けられず、死にもしなかったとすれば、麦の一粒はそのままだったでしょう。そしてその粒から多くの人々が生まれることもなかったでしょう。ですからあなたは、彼のみ言葉に注意してください。イエズスはこのことを望んで、こう言われているのではないでしょうか。「もし麦の一粒が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかしそれは、死ねば多くの実を結ぶ[5]」と。イエズスの死は、ここにいるすべての人々を実らせたのです。もしもその死が、これほどたくさんの人々を実らせたとすれば、いわんや復活はどれほどたくさんの人々を実らせるでしょうか。



[1] Jr.11,19.

[2] Jr.11,19.

[3] Jn.12,24.

[4] Cf.Lc.8,8.

[5] Jn.12,24.

 

 

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